自棄にならないため

おはようごいざいます。

やはりこの季節になると、日が長くなり明るく気持ちがいい、時折渡る川の水面が夕日に照らされきらきら輝き気持ちが春めくのもいい。遠くに見える山並みも淡く霞んでいる、やはり春の伊吹を感じる。昨日夕方愛宕寺に入る新幹線の車窓から眺める景色に心が慰められました。
「暑さ寒さも彼岸まで」まだまだ寒い毎日ですが、しかし、春のお彼岸がきますとやはり、もうじき春だなと、ホッとします。暦をめくる楽しみ、あぁ、今日は何々の日、え、もうこんな日か、と思えるのも暦のお陰。
このように考えますと、先人や先輩、その又先人の在り方を受け継ぎ一日、一ヶ月を過ごすにはどうしたらいいのかをしっかりと暦に歳時記として残してくれたことに感謝。先人のお陰でようやくその日暮らしができていくことに感謝するのです。もし暦がなければ予定も立てずやることもなく、怠け者の私はどう過ごしていたかを考えるだけで、ぞっとします。
先人、先輩が作ってくれた歳時記を手がかりに無心に暮らすことで生計をたてる行動ができる。感謝の心で無心に行動しますとそこから又独自の工夫、発想がわいてくることに喜びを感じるのです。「先人が残して下された暮らしの中で学べる」ありがたいことだ。この「手がかりを大切にすべきだと」考えています。それでこそ、次世代への継承がなされる。
明日は「春のお彼岸の入り」。下関・愛宕寺「春季・彼岸会法要」を午前10時から厳修いたします。是非おまいりご焼香ください。心華寺は20日「彼岸のお中日」に厳修いたします。
何事でも「タイミング・時節」があります。先祖供養・水子供養・物故者の供養はやはり「春秋のお彼岸とお盆」がよろしい。彼岸とは迷える岸から、「悟りの彼の岸」に至る最高のタイミング・時節の一週間。
何事の繁栄・発展も「勤勉」が肝要。愚鈍な私はその時期、しなければいけない時、尻に火がついて動くことを知りました。だからその時こそ謹んで勤める、「謹んで勤めた結果、安泰という大きな功徳を知った」のです。
そのタイミングの大本が最も身近で大切な「先祖供養を勤めたこと」です。大本、根っこだからです。根っこがなければ大木になりません。ご先祖様に感謝できる家庭・人は「慎ましい生活でも豊かで楽しい家庭とできる」のです。何故ならば、感謝の暮らしからは「不平や不満は出ない」のです。
今の「生活に感謝がなく不満を持っている家庭に豊かさ富はもたらされない」のが道理。「富めるには富める道理を歩み、貧には貧者になる道理を歩む」のです。
今の生活に不満を持っている人は「家を粗末にし、家を粗末にする者は自分を粗末にする」のです。「大切な自分、家を大切にしない者は、他を大切にできる道理はない」のです。
道理を信じない人は、自分勝手に道理を無視し事を進め、結果良い結果は得られず。得られないから、正しい道理を聞いても反発し「自暴自棄(じぼうじき)」になるのです。
(自暴自棄について「孟子(もうし)」離婁上(りろうじょう)に「自ら暴(そこな)う者は、ともに言(かた)ること有るべからず。自ら棄つる者は、ともに為すこと有るべからず」と。
不満や失望などが原因で、やけになって自分の身を粗末に扱うことをしてはいけないと孟子は教えます。なぜなら教えを信じない人は無味乾燥であり、語り合いたくなく、共にしたくなくなるのです。故に一層孤独感に苛まれ無道を歩む因果応報で一層自棄になってしまうと、孟子は警告しています)。
道理に悖(もと)る、反することを自分でやっている者は、人の言葉を信じないという最悪な状況をまねくのです。
大切なご先祖、先人が守り伝えた、繁栄・発展の大本の道理、彼岸供養という素晴らしい文化を信ぜず供養をすることなく事を進め良い結果が得られないことを知るべきです。道理にないことをやった結果、 思うようにならないために自分を駄目なものと思い,将来を考えない行動をとることが自暴自棄なのです。
人に習うとは「不自由なもの」です。それは最初だけです。どんなことでも最初は「不自由で、苦痛を感じます」。しかし必ず道理にあることですから「繁栄・発展する」ことを知ったならば、それ以降は嬉々として先祖供養を謹んで日々行うようになるのです。
その基本を作るのがお彼岸の「七日間」。七日という数字は「七日やれば良い」というのではなく、「これから毎日やりなさい」ということで「七日行えば、あと七日」といった如く、日々「先祖供養することで心豊かな日暮しの基を作りなさい」ということです。それが「悟りの岸、豊かな気持ち、安心の道を歩む彼岸の道」なのです。明日は是非愛宕寺におまいりの上「ご先祖様とご本尊様へ感謝の意をお伝えください」。お待ちしております。午前10時からです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
夕暮れの徳山の工場群の風景