弱者といわれている者の在り方

おはようございます。

私自身のことを時折書いています。今日もふと若い頃を思いだしました。私はとても弱虫で臆病、世間でいう「内弁慶」。今も変わってはいません(家の中ではいばりちらすが、外では意気地のないこと。母親はきっと困ったことでしょう。)。
勉強ができなかった私です、友達に言い返しても通らないことは重々承知でした、言われるがままになっていました。言われるがままになってはいましたが、言う方はやはり賢いと見えて、頼りない、意気地のない私を巧く使っていたようです。口も立たず、機転も利かず、便利使いもできない愚かな私。
弱虫というのは、強がらず、意地を張らなければ、悪い世界に引っ張られない、対立的な世界に引っ張り込まれないということも感じました。では、存在感がないのかといえば、そんなことは決してなく、いつも静かにしていましたので、それなりに存在感はあったようです。
中学生の時から「競争せずに歩む」という在り方をして以来、自分から望んだわけでもなく、リーダー的存在になっていったのが今でも不思議です。いつも従っていたので、周りにいる友達の話を「聞く」という訓練ができたのかもしれません。人は「自分の話を聞いてくれる人を受け入れる」ということも、おぼろげながら知ったようでした。
中庸(ちゅうよう。 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。)のバランスがとれていたとは言いませんが、「できることしか出来ない」という認識は持っていました。
できるようになりたい、あのような人物になりたいとは思っていました。そんな思いがあったからといって「できるなどという錯覚はしませんでした」、それは「臆病だからです」。
ですから、偉大な人を超えたい、あの人に負けたくないなどという愚かな夢を持たず。「あの人は素晴らしい、この人も素晴らしい」と、花を見るように見ていた。
また本はよく読みました乱読です。歴史書、偉人伝、心学の書を読み、あこがれ、夢見て心の中で感動する日々。
ですが、自分が友だちより劣っていることは百も承知、お陰で自分のハードルを確かにできたようです。それを飛び越える、今日の自分にチャレンジすることに志をもち、誇りをもって歩んできました。
作為的に人様との人間関係を結んできたわけではなく、臆病だったから結果的に自分の意思を告げられなかったため、自分を素直に高められたのだと感謝しています。確かな人物像を描いて歩むことは大事だとしみじみと思っています。それ以上に、己を知ることです。
己の力量も知らずに、とんでもない物を持とうとしても無理な話。やはり「積小為大(せきしょういだい)」がよろしいのです。今になって思い返してみますと、ずっとずっと夢を見て歩んでこれた、そんな臆病に生んでくれた両親に今は感謝しています。若い頃は何でこんな弱虫の子に生んだんだと、悲しくも恨めしくも思いましたが、良い思い出です。
今夜は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」です、ふと「Tao、道」のことを考え、「身の丈に合ったことで歩むことがTaoイズムかな?」などと頭をよぎり、このようなことを書いたようです。
老子」を今、京都、大阪、小倉の三カ所で皆さんとご一緒に学んでいます。「老子」は別名「道徳経」とも呼ばれます。主張の核心は「道」と「徳」の二本柱、「老子」は、万物の根源に、万物を万物として成り立たせている、ある「存在」があるのだといいます。それが「道」だといっています。
「道」は「無」としかいいようがない存在です。それがあることによってはじめて万物が生み出され、万物が万物として機能することができるというのです。
「道」はそれほど大きな働きをしていながらいささかも自己を誇示することなく、いつもしんと静まりかえっています。
その「道」を認識し、体得することによって、私たちも「道」のもっているすばらしい属性を身につけることができると「老子」は考えたのです。それがすなわち「老子」の「徳」にほかなりません。「老子」のいう「徳」とは、「無心・無欲・柔軟・謙虚・素朴・控え目」などからなっていると教えます。ふとそんなことを思いだし、少年時代から今日までの在り方を思い出したのです。「老子」の思想は「弱者の思想」なのです。
弱者の思想といっても、二元的な見方をしている人に弱者、強者という言葉は存在したとしても、私は「私を」弱い人間だとは一度も考えたことはありません、弱者とは強者から見た見方です。人様に対し私は強いのだと言い返したこともありません。「私は私を生きている」のです。
今日は週末、ご自身の身の丈を静かに考えてみてはいかがでしょう?。良い週末をお過ごしください。
今日から心華寺では「M&Uスクール」が1泊2日で開校されます。受講される皆さんお気をつけて入山ください。残念ですがお目にかかれません。2日間精進ください。
九州地区の皆さん今夜の「にんげん学」小倉講座よろしくお願いいたします。会場でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
愛宕寺の玄関を飾っています。オリンピックカラーの菊です。



「にんげん学」小倉講座会場入りする前少し早めに愛宕寺を出て写真撮影。下関を訪れた歌人が多い、愛宕寺から下関駅に行くまでの間に、石に刻まれている。こんな素晴らしい歌を詠めればいいなぁ〜としみじみ思う。






下関のランドマーク海峡夢タワーを桜ごしに。






赤ちゃんを桜の下に、素晴らしいお母さんです。

ふと歩道の足下を見れば小学生の絵が下水の蓋に。素晴らしい大人になるだろう、見習いたい。それでは「にんげん学」小倉講座へ行ってきます。