晦日

おはようございます。

下関は昨日は良いお天気でしたが、底冷えがするように寒かったですね、お大事ください。3月の最終週です。
昨日まで心華寺で1泊2日で開校されていました「M&Uスクール」受講生の皆さんお疲れ様でした。学びは心豊かに自由になるためです。来月もお運びください、ありがとうございます。
じっくりと最終週を歩みましょう。何かしっくりこないなという点を見逃さず、その上で点検をして修正すべき事は素直に修正する、これがいいですね。そのままにしておけば、シコリが大きくなれば、どうしようもなくなります。小さいうちに修正したいものです。
今夜は「にんげん学」神戸講座「論語を読む」です。昨日も書きましたが論語は「最後まで自分を見捨てない教科書」です。「世を知って世を捨てずに生きる」ことを確かに教えています。「にんげん学」の最高の「教科書」です。読めば必ず「なるほど、なるほど」とうなずいてしまいます。しかしただ、うなずいているのは「本に読まれている」だけのことで、「読んでいるのではない」「真に自分に生かしているのではない」のです。実践において対応できてこそ「読む」といえます。
それには孔子が学而(がくじ)第一の冒頭で教えるように「時習(じしゆう)」して「応対・対応のにんげん学を体得していなければいけません」。これでこそ「読む」となるのです。感心しているうちは「まだまだ」です。
それでこそ「人間に対する理解が深まり、人生に対する視野を広げることができる」のです。ただ一方的な自己満足の知識では「対応力」とはならないのです。
孔子という人物は、今現在の私より年令が上になっても学ぶことをやめなかったのです。常に「チャレンジ&レスポンス」を実践していたのです。だからこそ私たちの心に響いてくるのです。順風の時も逆風の時も、いつも前向きの姿勢で人生にチャレンジしていたのです。ですからどのような人生の境遇の時の問題でも、論語をひもとけば必ずそこに「在り方、生き方のお手本になる事柄が示されている」のです。
孔子は学びは「一生の悦びである」といっています。私もそう思います。私がいつも月末になりますと、反省して修正しましょう、と書いています。
月末のことを「晦日(みそか)」といいます、年末は「大晦日」です。この晦日という意味はどのようなことでしょうか?。「暗い」という意味です。本来は「月が出ないので暗い」というのですが、この言葉を「それについては、私は暗い」といった使い方をしたのです。「よく知らない、未知の領域だ」という意味です。そこから転じて「晦日は一ヶ月を振りかえって、自分の能力の足らざるところを洗い出す日」、いわば「能力の棚卸しの日」としたのです。
晦日が明けますと「朔日」、「始まり」という意味、「一日」のことです。一ヶ月暮らした中で「いろいろ暗かったところがでてくる」。それらを課題として、明けて一日から「欠点是正と勉強に励み、自分の暗いところを明るくしていく」ことが大切なのです。このようなことも論語から学んだことです。
このような作業を続けることで、自然さまざまな知識・智慧が蓄えられていくのです。年令を重ねれば重ねるほど、明るく楽しくなるのです。孔子は「一生の悦びだ」とだからこそ言ったのです。神戸地区の皆さん今夜の「にんげん学」講座、楽しみにまいります。会場でお会いしましょう。
学びとは「自分の暗いところを明るくしていく楽しい作業の連続」です。この作業を続けていればこそ、社会から頼りとされてしまうあなたが出現するのです。
皆さんも3月の最終週、しっかりと反省し、できなかったことに感謝できるようにしましょう。いい一週間でありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
昨日小倉からの帰りは門司港まできて下関唐戸港まで渡船で帰りました。唐戸港から愛宕寺までは10分ほどで帰れるのですが、のんびりと30分ほどかけて帰りました。
下関は捕鯨の基地です、モニュメントです。





大きな交番です。海の警備は大変なんでしょう。

ランドマーク海峡夢タワーはどこから眺めてもいい。