命と名

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。老子44章「名と身と孰(いず)れが大事」の老子からの問い、「考えてしまいます」。もちろん名誉よりも身、命が大事です。いつも書いているとおりです。しかしながら、目の前のことに夢中になりすぎて、「喉を壊したり、病を得たりして入院してしまう」のも事実。コントロールができていない。偉そうに言う割にはお恥ずかしい。穴を掘ります。しかし「心学を読み学ぶ価値がここにあります」。「反省が素直にできる」からです。もう少し無理をせずにやらなければと。「老子は」こう教えます。
「いちばん大切なもの
 お金と生命(いのち)はどちらが大切だろうか。
 地位と生命(せいめい)はどちらが大切だろうか。
 もちろん生命にきまっているじゃないか。
 でも、人はそうした欲望を得るために、
 なんと生命をすり減らしていることか。
本末転倒(ほんまつてんとう)
 名声や財産にこだわりすぎると、
 大切な生命までも犠牲(ぎせい)にして、
 挙(あ)げ句(く)のはては身も蓋(ふた)もなくなるんだ。
 これを本末転倒(ほんまつてんとう)というんだよ。
ほどほどのところ
 ほどよいところで満足することを知れば、
 恥(はじ)をかくこともなく、
 「もっともっと」の欲を捨(す)てれば、
 危(あぶ)ない目に遭(あ)うこともないのに・・・。
 それなのに人は、
 ほどほどのよさを忘れてさらなる欲を燃やし、
 いつも不安と危険(きけん)の中にいる。」
いかがですか?、何も地位名誉を老子は嫌って否定しているわけではなく、「考えなさい」と諭すのです。「どう在るべきか」を考えるヒントを出してくれているのです。小欲知足(しょうよくちそく)たれと。そう在ることで人との争いも生まず、イキイキと使命感に燃え暮らせますよと。
思いは思いでしかありません、未だ得られもしない名誉に心惑わされず、人間であるのならば、先ず老子は「見て触れて、工夫して、社会の役に立つものを作れ、実践することに悦びを感じよ、命の躍動を知れ」と言っているのです。
現実世界で感じた敗北感、挫折感は何なのかの正体を確かにせよ、うたかたのような名誉や褒め言葉や称讃されたいという気持ちに浮かれるなと言っているのです。それは己の心を見失っているのだと、いい大人がそのような愚行をしてはいかんぞと。現実に工夫する悦び、楽しさを忘れ、言葉に頼るようでは人生虚しいものになるのです。
私はご存知のように、いろいろな方にお話をさせていただいていますが、話をすると言うことは、言い訳がましく聞こえてしまいますが、言動が一致してこそ力が出ると思っています。でなければ人様の心に響かず、共に歩んでくださる人もできず虚しいだけです。また人様は言葉だけで翻弄されるほど愚かではありません、もし言葉にだまされるというのならばそれは欲心がだまされているのです。
お話をさせていただいて、実践の中での工夫の悦びになる動機付けになってほしい、実践し考え行動することの悦びを生きがいとして欲しいと願うからです。
多くの人を私は職業柄拝見しています。成功する人の多くは、仕事をする悦びに溢れている人です。失敗挫折される方は称讃の言葉を欲しがる人です。人生は工夫行動することほどの悦びはないのです。失敗し失敗しても、物を完成させる悦びに勝る悦びはないのです。命が爆発する生命の躍動です。
私たちの性命の中には、耳で悦び(教えを悦び)、耳で悦んで身体で悦びを感じることが(仕事の悦びを感じる)一番の幸せなのです。それは「一生の悦び、生きがいとなる」のです。今日は知足を考え過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。
昨夜の懇親会は「お多幸」さん。マスターごちそうさまでした。






Nさんご夫妻のお誕生日でした。ご夫妻が同じ誕生日で結婚記念日も誕生日と一緒だそうです。おめでとうございます。ますますお幸せに。