楽しさを探さない

おはようございます。

今朝は雨も上がり素晴らしいお天気です。年、一度ゴールデンウィークのこの時期、故郷山形から小学校の同級生が訪ねてくださいます。最初は懐かしく思い出していただいての訪問。初めての訪問の時、心華寺・水子地蔵供養尊に手を合わせていただいた折りに、お嬢様の「お子様が流産され、その水子様」の為にと「水子供養地蔵尊」を建立いただきましたのが、毎年おまいりいただくご縁につながりました。
その後直ぐにお嬢様に「子宝が授かり」、それから毎年「お礼詣り」と称しておまいり下されています。
自家用車でご自分で運転してきてくれます。ありがたいことです。Wさん今年もありがとうございます。
また今日は「にんげん学」東京講座へご出席いただいていますHさんがご主人様とお二人でおまいりくださいます、二日連続で嬉しい日が続きます。
当に「一期一会」です。縁は大事にしなければいけません、私は仏道を歩み初めて次第に出会いに大きな喜びを感じるようになりました。一つには人様がいろいろな幸せ喜びを運んでくださるからです。それは「無理に楽しさを探さないという考え」でもあります。
このような考え方を知り、実践出来るようになったのは「菜根譚(さいこんたん)」を読んでのことです。いつも書きますが、心学の書をいくら読んだとしても、実践しなければいけません、現実の生活で、なるほど、先日読んだのはこのようなことを言っていたのかと、感謝しなければいけません。
菜根譚前集、150に「水は波がなければ自然に静まり、鏡はちりやほこりがなければ自然に明るく輝く。
人の心もわざわざ清く洗う必要はなく、心の中から邪念を取り除くならば、自然に清く明るくなる。
生きる楽しみも無理に求めることはなく、心の中の苦悩を取り去るならば、楽しくて幸せな生活が待っている。」
誰にでも喜怒哀楽の感情や本能的な欲望があります。不安や悩みも人の常です。いずれも避けて通れないのです。ですが、不安や悩みに対する姿勢は人によって違います。当人への影響の度合いも同じではありません。楽天的な人と感傷的な人では明らかに違います。
前者は悩むこと少なく、不安や心配事にもうまく対処しますので、気楽でこだわりのない人生を送ることができるでしょう。
後者は悩むことを人一倍気に病む傾向があり、一旦悩み始めますと、どこまでも憂いを深め、不安で仕方がなくなり、常に脳裏(のうり)から離れず、思い切って放り投げることもできず、鬱々(うつうつ)とした気分で毎日を過ごすことになります。
楽しい人生は、無理して楽しさを追い求めたところで実現できるとは限らないのです。楽しもう、楽しくしようと無理をするほどに、逆に楽しさから遠のく恐れがあるのです。では、どうすればいいのでしょう。
大海は風が吹かなければ波は立たず、ましてや凄(すさ)まじい大波など起こるはずもなく、自然のままに穏やかな表情を見せるのです。自然とは安定したものなのです。
鏡は表面に汚れがついていなければ、何もせずとも明るく輝き、様々なものを映し出します。
心も本来落ち着いた穏やかなものであり、鏡のように明るいものなのです。心の中に汚れた私心や雑念がなければ、純粋で澄み切った気持ちになるのです。
したがって、楽しく生きるためには、必死で楽しさを追求してもあまり意味はないのです。むしろ心の中から私心や雑念を払うならば、苦悩も自然に消えてしまい、何となく楽しい気分になってくるのです。すなわち「心の中の苦悩を取り去るならば、たのしくて幸せな生活が自然に戻ってくる」のです。
例えば、課長を何年も勤め上げたので、今度は部長に昇進できると思っていたのに、後輩に追い越されると、本当に腹が立つことでしょう。だが、その課長は自分が何人もの人間から羨ましく思われていることを知らないでしょうし。また、部長には部長としての悩みがあり、しかもその悩みは課長よりも軽いとは限らないのです。
私は、ほとんどの悩みは「取り越し苦労である」ことを知ったのです。知ったとしても、やはり悩みます、だからこそ日々心学の書を読み、心を練り、修養し、祈るのです。先日書きました「ねばならない」を捨てれば、楽しい人生となるのです。自らの心を自ら波立てることのないようにしましょう。休日、このようなことを楽しく考えてみては?いかがでしょうか?。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
Wさん、遠路ありがとうございます。

我が家の庭で。

ご近所のIさんも交え乾杯です。

今朝の風景。