日常が大切

おはようございます。

「一日一生」という言葉に出会い、私のモットーの一つとしています。このように先人は覚悟と言いますか、一日をしっかりと「日暮らし」しよう「過ごそう」と、一日一日をひたすら夢の実現に向かって積み重ねているのだと信じ歩んだのでしょう。
私は一日の予定をこなし漸く過ごしている状態に感謝しています。予定に「力を発揮する喜び」「力を尽くす喜び」です。ですから予定があることに感謝しています。朝起きることから寝るまで、掃除、護摩を修し、ブログを書き、いろいろな資料を作る、そして勉強、このように一日を過ごせることに感謝です。
一日の過ごし方すべて師や先輩に教えていただきました。ですから、手を抜いたりしたら、師や兄弟子に叱られると今でも思っています。怒られたくないという思いです。この怒られたくないという意識がありがたいと修行時代に気づかされました。「良い意味で人の目を意識する」ことです。自分を考えて、私はそんなに出来のよい人間ではありません、「やらされて、多くの事を気づくことができた」「やらされて主体性に目覚めた」のです。
一日の予定がなければ何をしてよいのかもわからず、茫然自失の一生だったかも知れません。
予定というものは、予定をこなすためのものではない、ということを知ったのも、「やらされてのこと」です。「ある結果を求めるためである」ことを知ったのです。そこで「使命感を知る」事も出来ました。
私のような者でも「大きな仕事に携わらせていただいている」という「感動」、大きなことの「一翼を担っている」という感動を知ったのです。そんな思いができるようになってから「仕事には前後がある」という四書五経の「大学」にある「物に本末有り、事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し。」という意味が、師の立ててくれた、先輩が立ててくれた一日の予定をこなしていくうちに、体得していくことができたようです。
「意味のない仕事はない」「大事でない仕事はない」「どうでも良いという日課はない」「自分の価値観だけで価値を云々してはいけない」ということを教えていただいたのです。
一日の予定を確かにすることで「内在している能力が表に現れる(私にもこんなことが出来るのかという喜び、可能性(チャンス)が広がる喜び、引き出される喜び)、その能力に磨きをかけられる、上達すること」も知りました。
だから予定を立てたことには決して疎かにしないようにと実践の中で教えていただいと今の年になって一層「一日一生」のあり方に感謝するのです。
私たちの朝の作務、お勤め、基本となる予定は無限の可能性を秘めているのだということを教えていただいたのです。いろいろな人様や企業様にお話をさせていただいたり、拝見しています。人様や企業様が衰退の道を歩む姿を拝見して思うところは、「基本を忘れている人様、企業様が多い」のです。いわゆる予定(あらかじめすること)をせず、結果だけを求め探している、己を磨き、高めようとしていないのです。
師に教えていただいた事は大切な事ばかりですが、「日常の中にこそ幸せがある」ということです。どういうことかといいますと、「日常で体験している生活の中でしか、自分が幸せに成る答えは見つけられない」ということを教えられたのです。私たちの修行は「知行合一」です。これは「知ること」は、「行動すること」と一体となって、初めて学んだ、修行したことになるという意味です。「行動する」ということは、まさに「日常生活の中でしか体験できないものなのです」。人生の幸せは、日常生活の中に、そして自分の心と頭の中に、すでにあるのです。
どうしたら「好かれる人間になれるのか?」という答えを知りたければ、「自分はどんなときに他人に好感を抱くか、自分の心中を探れば、答えは見つかります。」。
今夜は「にんげん学」一宮講座、明日は東京講座、「人としての基本の学」です。「己自身の内面に在る能力の存在を確かにする学」をご一緒ください。今日もしっかりと基本の予定をこなし、日暮らしを大切にしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
久しぶりに雨が上がりましたので、お日様の輝きを撮りました、神秘。