生涯学び続ける

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。久しぶり一宮には新幹線で名古屋へ、名古屋から東海道線で逆戻りして尾張一宮に入りました。
「心学」はどうして心揺さぶるのでしょう。昨日学びました論語、術而(じゅつじ)第7、2条「生涯学び続ける」こと、頭をガツンと殴られました。私が選択して皆さんと学ぶのですが、それでもやはりショックです。
「子曰く、黙(もく)してこれを識(し)るし、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まず。何か我に有らんや。」。
意は「人のいうことを黙って聞いて物事を知る。勉強に飽きることがない。人に教えて嫌になることもない。それぐらいが私の取り柄である。」
孔子のようにありたいものです。「聞く」「考える」「気づく」が自分を成長させてくれるというのです。
「黙してこれを識(し)るし」は「聞く力を養うこと」。「上司や部下の話を、黙って聞く」「友人の悩みごとをしっかりと聞く」、社会の声にキチンと耳を傾ける。このようにしっかり聞く行為が、まずは「学びの出発点だ」と孔子はいうのです。
これが聞けないんですね、だから育てられない、部下や人の話をじっくり聞けない、聞けないから相手から学べず、トンチンカンな助言をしてしまう。
「学びて厭(いと)わず」は「考える力を身につけること」だというのです。「聞くことで得た知識や技術を自分なりに考え、自分なりの答えを出す」、そして考え抜いて見えてきた自説を人様と意見交換して磨き高めていく。考える行為は、学んだ知識や技術を「自分なりに培養する、学びの通過点」だと教えているのです。
相手から学べないから、「あいつは何度言っても駄目だと簡単に相手のせいにしてしまう」、いけません。
「人を誨(おし)えて倦(う)まず」は「気づく力」を養う段階だというのです。いろいろな知識を身につけ、自説をひけらかしたとしても、それだけでは学ぶ意味がないのです。
聞いて学んだことや新たに発見した知識と技術を人びとに教えることで、「新しい気づきを発見できる」のです。学びの「成熟期」です。よく言われますように「学びたければ、教えろ」と。それでこそ「真の気づきがある」のです。
学ぶには「聞く力」「考える力」「気づく力」の三要素のどれが欠けてもならないのです。しかし、どの力もすぐに身につくようなものではありません。だからこそ、人は「いつまでも学び続ける存在でなければいけない」のです。昨日書きました「日常での学び」です。
「自分はもう十分だ」「何もかもわかった」と思った時点で、老害をまき散らします。人生への生の意欲はなくなり、すべての衰退が始まるのです。
すべてを「知る」ことなど、死ぬまで学んでもできないことです。「驕(おご)らず、いつまでも学ぶ姿勢を持ち続ければ、人はどこまでも成長することができる」のです(人様と比べてではありません)。
この条で言っていますように、博識の孔子でさえも、学ぶことに飽き足らず、死ぬまで学び続けたのですから、私のような愚鈍な者はなおさらのことだと、しみじみと不勉強さを思い知りました。今日も学びましょう今夜は「にんげん学」東京講座です。銀座でお待ちしております。良い響きですね、銀座。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
「にんげん学」一宮講座お世話になっていますGさんのお庭で可愛いお花を見つけました。




東京への車中から今日の富士のお山です。