思い

おはようございます。

祈りは人としてとても大切です。何故大切かといいますと、「精神・思いを確かなものとしてくれる」のです。人生は現実を積極的に受け入れ糧(是々非々を)として成長すべきです。受け入れ糧とするためには「確かな精神と思いがなければできないのが道理」です。
人は「思い求める方へと傾き進もうと」します。その「思いを正しくできる思いを教え導いてくれるのが祈り」であり日々読誦します「繁栄の聖典」なのです。
どなたも「自分の思いを持っています」。持っていながら「思いの通りにならない」のは何故でしょう。それは「思いが正しくないから」です。正しくありませんから「人様と衝突し争う」のです。これは何の益も無いエネルギーを消費するだけで疲れはてるしかないのです。
いつも書いていますが、私たちは身近な人と「共に幸せになる」「喜びを分かち合う」「怒りを分かち合う」「哀しみを分かち合う」「楽しみを分かち合う」「共感する」ことが一番心の豊かさであり、安心感となり、そして充実した「使命感を持てる」のです。
昨日は私が大事ということを書きました。そう、私は「あなたが居るから私で居られる」。「人を慕い思う心ほど心豊かになれるものはない」のです。大切な私の精神・思いはこの「共にという道を歩むこと」です。親子、兄弟(姉妹)、夫婦、親族、仕事仲間など、すべて、それぞれ己の道が無く、守るところもなければ、「バラバラとなり争い、淋しく虚しい思いをするだけ」の人生となるのです。
何も守るところのない自己チューであれば、孤独になり、生きがいも分かち合う喜びもない、得たい欲しいという貪(むさぼ)る心ばかりとなり、塩水を飲んでいるが如く渇きが癒やされず、心をいらだたせ、落ち着くことのない、暗黒の人生を送ることになるのです。
私たちは祈りを知りました、祈りは「日々祈ることで祈り」です。だから精神・思いを失わないのです。昨日、今日の法要の準備のためお手伝いくだされたSさんが(Sさんは日まいりを続けています)、「和尚様、この度はありがとうございます。」とお礼を言ってくださいました。何故ですかと問いますと、「先月、ご相談させていただいた息子が、翌日病院に行って、脳内血栓が見つかり、当日即手術をして、助かりました」という話でした。
祈りは、よく言われますように「大難が小難、小難が無難」となるのです。祈る人は「疑いません」、祈っているのに何故病気などになるのなどとは言わない思わないのです。生老病死は摂理であることを知っているからです。
しかし祈りの人は「喜怒哀楽を分かち合う精神・思いが強くあります」。ですから、どんな時、状況でも自分を見失うこと無く、支え、支えられ合う、共に在ることで幸福な安心の人生の道を歩むことになるのです。支え合うことほど嬉しいことはないのです。支えてくれている人がいるからガンバレルのです。
共にすることができなければ、いくら繁栄を願ったとしても、繁栄はならないのが道理なのです。繁栄は共にする人がもたらしてくれるからです。
共にできない人は、苦しみを避けられない道をひたすら歩むのです。だからこそ、共にを忘れないように日々「繁栄の聖典」を読誦することです。
祈る人の慈悲は何か困難なときがあったときこそ、慈悲の行動が素直に無意識に出るのです。それが「私を大切にする。私を生きる」ことです。今日は愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです。共に「繁栄の聖典」をご一緒に読誦しましょう。共にする人を多くすればするほど繁栄の輪が大きくなり、土台の安定を増すのです。良い一日でありますようにお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
路地の小さな花と玄関にいけた花が皆様をお迎えします。


今日の皆様へのお供養です。