善く学ぶとは

おはようございます。

「呂子春秋(りょししゅんじゅう)」夏の節、51に「善く学ぶとは何か」が書かれています。「にんげん学」講座で皆さんと一緒に読みたい書の一つです。長文ですが載せます。
「いったい天は人間を生んだとき、耳にはものを聴き分ける能力を与えた。しかし学び鍛えなければその聴く力は、聾者(ろうしゃ)にも及ばない。目にはものを見分ける能力を与えた。しかし学び鍛えなければその眼力は盲者にも及ばない。口にはことばを話す能力を与えた。しかし学び鍛えなければその話す力は啞者(あしゃ)にも及ばない。心にはものごとを判断する能力を与えた。しかし学び鍛えなければその判断力は狂者にも及ばない。
だから学問とは、何かを足し増やすということではなくて、人間のもちまえの天性を遂げさせることである。天が生んだものを保全して傷つけ敗(やぶ)らない。こういうのを善く学ぶということである。子張(しちょう)は魯(ろ)の鄙賎(ひせん)の家ので出であった。顔涿聚(がんたくじゅ)は梁父(りょうほ)というところの盗人であった。しかし孔子に学んだ。段干木(だんかんぼく)は、晋(しん)の国の仲買人の実力者であった。しかし子夏(しか)に学んだ。高何(こうか)、県子石(けんしせき)は、斉(せい)の国の乱暴者で村からつまはじきされていた。しかし墨子(ぼくし)に学んだ。索廬参(さくろしん)は、東方の国の詐欺師であった。しかし禽滑黎(きんかつり)に学んだ。この六人の者はいずれも刑罰を受け刑死しても不思議ではない人間であった。それなのに刑罰をうけ刑死するどころか、かえって天下の名人顕人(めいじんけんじん)になってその天寿を全うし、王公も貴人もこぞってかれらを礼遇した。それはかれらが学問し学問を身につけていたからである。」(孟夏紀 尊師)(古の文章でありますので、今日には相応しくない表現がありますが、時代の表現のままに記しました。)
いかがですか?「善く学ぶとは何か?」じっくりと考えるべきではないでしょうか。学ぶことの意義は「人様のお役に立ってこそ」です。呂不韋(りよふい)は、上に挙げた六人は「確かに学び直し自省したからこそ礼遇された」のだと。また「本人達自身が自己啓発し悔い改めたことを、私たちに教えているのです。」
上の話は極端な例かもしれませんが、「一面だけを見て判断することの弊害」、「又一面だけで価値判断され落ち込んではいけない」ことを教えて「呂子春秋」を編纂し人材育成に励んだのです。今夜は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」、Taoは天地の道理を歩むことを教えます。天は何のために私たちをこの世に生んだのでしょうか、「天地の道の非情を真に理解し、大きな愛に目覚めたいですね」。ご一緒に学びましょう。今日は学びを考えてください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
昨日愛宕寺の信者さんのWさんご夫妻に写真撮影に山陰の仙崎等々にお連れいただきました。
大寧寺長門市)にある大内義隆公の最後の地です。


大寧寺の前を流れている川に架かっている橋、防長三奇橋といってとても珍しい橋だそうです。




豊田町にあります。安徳天皇の陵墓と伝えられている場所です。


陵墓の前の道路にあるバス停の名が、大胆でした。

仙崎にあります「金子みすゞ」資料館、金子みすゞの生家と部屋です。詩はやはり素晴らしい。



青海島一周の遊覧船に乗る前に腹ごしらえ、「鯵とイカの刺身定食」です。鯵もイカも今が旬です。

さて乗船場へ。一時間半の遊覧です。

この遊覧船ではありません。

雲がかかっていますが青海島です。

自然が作り出した岩の芸術です。