知らないことを自覚する

おはようございます。

梅雨空の中「にんげん学」京都講座「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。7月は11日です来月もご一緒ください。
日本書紀に「葦原の千五百秋の瑞穂の国(あしはらのちいおあきのみずほのくに)」とあります。この時期に雨が降るのは我が国が栄えるための大切なことでもあるのです。意は「豊饒(ほうじよう)永続する国」ということです。子々孫々まで永続して欲しいと願うのはいつの時代でも同じでありましょう。
永続するためには、道理を人の道とすることが大事です。昨日学びました老子71章「知らないことを自覚する」、やはり、心に刺さります。この身がいつかは滅びることを知っているが故に精神の貴さを言葉にし説き遺したのです。先人に感謝して余り有ります。71章を紹介します。
「知りて知らずとするは上(じよう)なり。知らずして知るとするは病(へい)なり。聖人の病あらざるは、其の病を病とするを以てなり。夫(そ)れ唯(た)だ病を病とす。是を以て病あらず。」
意は「知っていても、それをおくびにも出さない謙虚な態度が最もよいのです。
逆に、知らないのに、知っているふりをするのは最低です。
聖人に欠点がないのは、自分の欠点を欠点として知っているからです。
この自覚により、自ら欠点を直しているのです。」
私たちは、「知識を吸収し、それを知恵に昇華(しようか)させることはとても大切なことです。」しかし、「往々にして知識を知恵にすることができず、」その「知識をひけらかし自慢げにしている人がいます。」
本人は「自分は何でも知っている。」と得意になっていますが、「周りから見ればその人は貧相に映るものです。」こうした人を古人は「愚者と言いました。」
誰にでも欠点はあります。聖人は、「その欠点を自覚し、改善しようと努力するから高徳を身につけることができるのです。」
生きる姿勢、人としての在り方として「自分の欠点を日々改めるように努める姿は潔く美しく見えます?」私はこのように感じています。事実そのように潔く美しく生きている人を見ます。
人間は完璧ではありません。完璧でないから日々反省し、より良い自分に変えていくことが大事だと思うのは私一人ではないのではないでしょうか?、いかがでしょうか?。改善しようとする姿が美しいのです。今日は「知らないことを自覚する」日としてはいかがでしょうか?。
「知ったかぶり病」「知ったふりをする病」に冒されないように、「ふりからは」何も良いことは生まれません、悩み病を深めるだけです。心の貧しさが一番いけません。良い一日でありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
「にんげん学」京都講座へ行きます前自宅へ車を置きに帰る途中、お花さんに呼びとめられました。











昨夜の「洋食・ぼんじゅーる」さんのお料理です。マスターごちそうさまでした。
お店の外観です。

海の幸、カルパッチョ

きれいな箸置き

スパゲティ、ボローニア風

サーロイン、バター醤油

ハンバーグカレーソース目玉焼き添え