些事を軽視しない

おはようございます。

京都、大阪、小倉の「にんげん学」講座は今「老子」を読んでいます。老子は「天下の大事は必ず些細(ささい)なことから始まり、天下の難事は必ず易(やさ)しいことからはじまる」と。
菜根譚(さいこんたん)(清朝本・修省)に同じようなことを教えています。
「ほんの少し違っただけで、それまでのすべてがご破算になることがある。
獣皮を浮き袋にした筏(いかだ)は、針でつついただけで沈む。」
日常の「些事(さじ)を軽視しない」ことを教えています。些事と考えてしまうことは何でしょう?やはり日常の暮らし、生活です。そして日々繰り返すお勤め(お仕事)です。基本となる日々のお勤め、ベース。土台があるからこそ、その上に将来、未来の人生を積み上げていくことが可能なのです。それを些事として軽視して終うことですべてを失うこととなるのです。
人間の愚かさの一つは「経験を積むことで要領よく日々をこなしてしまうことです。」初心の時は「失敗しないだろうかと薄氷を履(ふ)むが如く歩んだ者が」いつしか「要領を身につけ自らを貶(おとし)めていく」ことを恐れなければいけません。
経験は「良い知識も得れば、悪い知恵も与えてくれる」ことを知るべきです。とくに、悪い知恵は、「品格に影響を及ぼすようになるからです。」極端な場合、「悪賢くて陰険な心を育て、悪事にも手を染める人間に陥(おちい)ることになる」のです。
そのような人間とならないために、「素朴、純粋さを大切にする」べきです。同じく菜根譚前集2項に、
「経験が浅ければ悪習に染まることは少ないが、経験が深くなるにつれて権謀術数(けんぼうじゅっすう)を身につけていく。
だからこそ君子は、処世に長(た)けるよりも素朴で飾り気がないほうがよい。
如才ないよりも粗野であるほうがよい。」
いかがです?、私たちは人生を歩む上で必ず何かしらの問題に直面します。このときの対応の仕方が大事です。「問題に直面しても周囲の目を気にして器用に処理し立ち回ることを考えずに、素朴な気持ちで真面目に対処するようにこころがける」ことです。その対応力を身につけるために「心学書の鏡を大切にすること」です。外に奪われた自分の心を取り戻す「教えに返る」ことだからです。
決して「利口に振る舞ってはなりません。」人様は優しく厳しいものです。「言い訳は聞いてくれます」、聞いてはくれますが、「許している、許されると考えないこと」です。それよりも「自分の本来の人格、品性を見失って終うことになることを恐れるべきです。」「その場を言い訳で凌(しの)ぐようになっては、海千山千の狡猾(こうかつ)な人間となり、周囲から疎(うと)んじられる存在に成り果てるのです。」
処世にかまけて「小さくまとまらず、素朴な人格をいたずらに飾らないようにする」ために修養すべきです。
処世に長けたり、個性があったりということに憧れず、心を寄せず、惑わされず。
金銭や権力ばかりを追い求め、そのためにお互いにだましあい、食うか食われるかという現代社会の状況に於いて、
「本心を語ったり、誠意を示したり、真面目であったり、こだわらなかったりする素朴な人は、この世では大切な人だと私ばかりが思っているのではないのではないでしょうか?いかがでしょうか?。」
善良な人ほど馬鹿にされやすいかもしれません、ウソをついたことのない人ほど他人を信じやすく、人をだましたことのない人ほど他人を信用しやすい。これでは正直者は損をするようですが、悪者になるよりも品格ある人間になった方が人生を豊に過ごせると私は信じ、日々人びとの幸せを祈り続けています。
教えの示す未来に私は疑いを持ったことはありません、ですからいつも沢山のご利益をいただいていると実感する幸せの思いと共に暮らしています。教えはありがたい日常の基本生活がありがたい。自分を確かにしてくれます。今日も心して護摩を修します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
きゅうりの花さんに声をかけられました、私も花ですよ、と言っているようでした。