随縁素位

おはようございます。

イチロー選手、凄いですね、偉業達成心より祝福いたします。多くの人に夢と希望を与えてくれます。子ども達も自分の夢に向かって歩み続けて欲しいと思います。おめでとうございます。
立夏はもう一ヶ月も前のこと、一週間すれば夏至。「夏の気は成熟と繁栄、草木もいっせいに華ひらく」とあります。この時節に何か心が騒いでしまうのも、立夏夏至の為せる業、バイオリズムかもしれません。
自然の動き、リズムを人の道として生かすことはとても大切です。一年、春夏秋冬は順序が変わりません、夏は秋の準備、秋は冬の準備、冬は春の準備、春は夏の準備といった具合。
以前にも書きました。「自然の流れに身を任せる」こと。身を任せるといっても、何もしないということではなく、「人事を尽くして天命を待つ」。イチロー選手もひたすら今を信じ歩んだのでしょう。日本の野球と米国のベースボールとはまったく違うから、偉業には?という方もおられるかも知れませんが?、それは違います。「違うからこそ、イチロー選手の適応力の凄さがある」のです。「縁を縁とできたからこその偉業」、素晴らしい、凄いの一言、称賛という言葉は彼のためにあったのかもしれません。
菜根譚(さいこんたん)後集135項に「仏教では「随縁(ずいえん。運命のめぐり合わせによって自然体で身を処すること)」を、我々儒家は「素位(そい。現在の境遇に基づいて身を処する)」を説く。この「随縁素位」という四文字は、人生という海を渡るのに欠かせない浮き袋のようなものだ。
人生とは茫々(ぼうぼう)として果てしない大海のようなものであり、完璧を目指そうとすると、絶えず周囲との摩擦が生じる。
したがって、偶然に置かれた今の境遇に安んじて穏やかに過ごすことができるならば、将来どのような境遇に置かれても悠々自適(ゆうゆうじてき)に楽しく暮らせるであろう。」
仏教では何ごとも縁によるものだと説きます。自然の規律は人の意志に影響されることはありませんので、何かを必死に追い求める必要はなく、一切は縁次第であると考えるからです。そこで「一隅を照らす・ポストにベストを尽くす」。
儒教は「素位」を主張します。君子は「自分の所属する部門を堅く守り、他の権力を狙おうとせず、自分のいる現実の境遇に満足しなければならない」と考えます。仏教の「万事は縁のおかげ、どんな境遇にも安んずる」に相通じるものです。
「随」とはどういうことでしょう。これは「唯々諾々(いいだくだく)と従うということではなく」、「自然の成り行きに身を任せ、恨(うら)まず、焦(あせ)らず、度を過ぎず、無理に求めない」ということです。また、「勝手気ままに生きるということではありません。」いわゆる「随処(ずいしよ)に主と為(な)す」。
「機縁をつかまえ(ある物事が起こったり、ある状態になったりする、きっかけ)、悲観せず、硬直的(こうちょくてき)にならず(何で私がこんな事をしなければ「イケナイの」と頑(かたく)なに拒(こば)まないこと)、慌(あわ)てず、自分を見失わないようにする」ことです。
あるいは、「随」とは「達観の境地でもあり、こだわりのなさであり、円熟した人生観であり、練達した生き様でもある」のかもしれません。いわゆる、どんなことでも「ドンと来い」という「覚悟で生きていること」です。
「縁」とは何でしょう。世の中の「万事万物は出会いであり、寄り添いであり、相性です。」「縁があれば何でも可能ですが」、「縁がなければそれまでの話し。」「縁はどこでも転がっていて、いつでも存在します。」
「縁があれば千里の遠くに離れていても巡り会えますが、縁がなければ向かい合っていても出会えないのです。」よく耳にする言葉です。
遠く離れた土地で見知らぬ人と目が合って笑ったら、それを縁と呼ぶのです。長年心から尊敬している人でも、遂に会えずに終わることもあります。「縁には出会いもあれば別れもあり、始まりもあれば終わりもある」のです。
人生において何か欲しいものがあり、求めて得られるならば喜ばしいことであり、嬉しいことですが「求めて得られなくても悲しまない。」そのような境地で生きられるなら、言葉にするほどの悩みはあるでしょうか?「苦楽も縁ならば、得失も縁であると覚悟したい」と願うのです。
成功を求めて努力しても、その「成果を手にすることができるかどうかにはこだわらずに、道理を信じて生きたいと願っています。」「自分を信じ生きるとは、このような生き方ではないかと思うのです。」それは、「責任を転嫁しないということでもあるからです。」
人様にそんな私の姿勢を見ていただき、黙々と暮らす姿を見ていただき、教えに従う姿を見ていただき、「少しでも落ちこむ人が少なくなってくれればと願うのです。」理想ではあります。理想に向かうことがなければ法を説く資格はないと考えています。
自然の流れに従う・・・恨まず、焦らず、突っ走らず、無理に求めず、悲観せず、慌てず、これが「随縁」。
広い世間の人びとの間で何か事が起きるときには必ず「縁がある」のです。例えば、「喜縁・福縁・人縁・財縁・機縁・善縁・悪縁等々。」すべては自然に任せ、何ごとにも執着しない。これは哲人の態度かも知れません、しかしこのように在れば、快適な人生となるであろう事は間違いがありません。このように生きた先人は確かにおられます。社会を憂えても、己の人生を憂えることがなかった達人。
漢(かん)の劉邦(りゅうほう)に仕えた政治家陸賈(りくか)が編纂(へんさん)した「新語(しんご)」に「天の時に逆らってはならず、ものの道理を破ってはならない」と。
「縁が集まれば成功し、縁が消えてしまうと失敗する。」絶えず変化してやまない世の中。心を落ち着け日々を送るには自然に身を任せ安んじることだと心学の書を読み思っています。
そのためにも日常の細々としたことを真面目に自然体で行うことだと胆に銘じています。そんな思いに気づかせていただいたお陰で分不相応な縁にも出会うことができています。
今日から1泊2日CMA様主催「リーダーシップ研修会」があります。CMAのT社長様とのご縁に感謝しております。T社長様は毎年1千名を超えるビジネスマンの方々を心華寺研修にお連れくださいます。
研修生の皆さんに限らず必ずお話しすることがあります、「人生の目標を決め、自身の能力を発揮する会社を選ぶことは可能です。しかしその先の「縁は選べない」と」、だからこそ人生は「覚悟が大事となる」のです。研修生の皆さんお気をつけて入山ください。今日も皆様が素晴らしいご縁に出会えますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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