視・観・察

おはようございます。

昨日は七夕で処暑、暑かったですね、水分の補給をしっかりとしましょう。「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。暑い中ご出席いただき感謝いたします。
昨日学びました論語、為政(いせい)第2、10条「子曰く、其(そ)の以(な)す所を視(み)、其の由る所を観(み)、その安んずる所を察(さっ)すれば、人焉(ひといずく)んぞ廋(かく)さんや、人焉(ひといずく)んぞ廋(かく)さんや。」
意は「まずその人の言動をよく注意して注視し、次にいかにしてその行為にいたったのか経緯(けいい)を観察して、そして、その人がどんなところに安らぎを求めているのかを推察(すいさつ)する。そうすれば、その人柄を理解することができるだろう。どんな人だったとしても、自分の人格を覆(おお)い隠すなんてできまい。」
よく、このような事を話す人がいます。「あいつは、私のいうことをちっとも理解してくれない」と(私も以前このような愚痴をいったものです。)。このようなことを言う人は、「人を理解せずに一方的に話しているのです。」相手のことを何も知ろうともせず、理解しようともせずに、ただたんに「わからん奴やと愚痴にならない愚痴を言っているのです。」このようであっては、人を生かすことなどとうてい無理な話です。
このようなことは部下としての立場にあったとしても同じ事です。上司のことを理解しようという気持ちが当然必要です。
私たちは「人を理解する力を養うべきです。」そのためにも上記の論語を何度も繰り返し静かに音読し、何を言っているのかを理解をしてください。頭の中でわかったように感じたとしても、行動、実践とならなければ、心学を修めているとは言えません。「論語読み論語を知らず」と言われてしまいます。
「相手の立場で考えるとその人のことがわかるのです。」相手のことなど何一つ考えずに自分の都合の良いようにしてくれないと嘆くのは虫が良すぎるのです。
孫子の兵法にも「敵を知り己を知れば百千危うからず」と言います。己を知らないばかりか、相手のことも知らないようでは何をか況んやです。「視・観・察」で人を理解する鍛錬をしましょう。
「視」=目に見える行動や言動を「視る」ことは、表面的なことで、内面までは理解できませんが、「その人の行動パターンなどがわかってきます。」
「観」=「視る」よりも一歩踏み込んで、内面的なところを「観る」こと、「どうしてそのような行動や言動を起こしたのか、動機や経緯を考える。」
「察」=行動を起こしたときに、その人がどう思ったのかを「察する」こと。「その行動に満足したのか、目的は達したのかなどを考える。」
「視・観・察」は、目に見える行動とその行動の結果生まれる内面的表情を読み取ることです。相手の立場に立ち、これらを実行に移せば人を理解できる可能性を高めます。
何も見ようとせずに人を判断しようとしても無理なのです。視・観・察を繰り返し修練すれば、人を見る直感力も養われます。相手を確かに察することができるようになれば、自身と人様の能力を確かに生かせることになるのです。
今夜は「にんげん学」東京講座「論語を読む」。会場でお目にかかりましょう。楽しみに一宮を出発します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
☆「にんげん学」一宮講座の会場です。一宮マツダ株式会社のG社長様から会社の会議室をご提供いただいております。G社長様毎月ありがとうございます。