何か

おはようございます。

蝉の声を聞いていましたら遠い昔を思い出しました。自分の人生を振り返りますと、やはり自分の心に正直に生きるべきだと思います。
幼少の頃から物覚えが悪く人並みに出来なかった私です、枠の中が窮屈で仕方なかったと感じていました。今考えますとそのように思えます。子どもの頃ですから、理屈では言い表すことは出来ませんが、とにかく教室や誰かと何か一緒にやるということが嫌だと思っていました。時折今でもそのコンプレックスが顔を出します。
嫌だと考えていた理由は単純で、人よりも劣っていたからです。ですからいつも、「心ここに非ず」の状態、「何かを空想していました。」「良いことないかな〜と。」だから当然中学校までの成績は一番下でビリ、勉強したくないのですから、毎日が嫌で嫌でたまりません。
だから夏休みは極楽、新学期が始まれば地獄の思いを中学2年まで送ったのです。この「何かないかなぁ〜」が「一隅を照らす、ポストにベストを尽くす」という言葉に「巡り合わせてくれた、引き寄せてくれたと信じています。」
勉強もできないくせに、人に対しては「対抗心だけは旺盛。」「今ここでは恥ずかしい思いをしているけど、いつかは私にも出来る世界があると夢見ていたのです。」
この恥ずかしい思いから脱出したいと、「あがきもがいたことが今の世界に縁をもたらしてくれたのだと」
自分の中に脈々と流れ受け継がれるご先祖様からの性命、魂に感謝しています。自暴自棄にならずに善かったと。そして、先人が枠を作ってくれたお陰で、「私の考えが自分の考え、人格を作ってくれたことを感謝しています。」
嫌だと思うことは一概に悪いことではないのです。そのためにも「自分と真っ正面から対峙すべきだと思っています。」大きな社会という枠組みの中で生かされているのが私たちです。
ある時「今、ここに生きよう」と覚悟ができたのです。過去に未来に振り回されず「ポストにベストを尽くす」求めていたからこそ、自分の心に「ピタッと来る考えに思いに出会えた。」「感動し涙が出ました。」
勉強が嫌でしたが、人が嫌いになったというわけではありません、逆に嫌な学校だが、嫌な中にも救いとなる、好きになる友の存在を知ったからです。嫌な中ですべてが嫌になることはないのだという気づきもあったのです。
どなたでも大小にかかわらず枠組みの中で恥ずかしい、苦しいという思いをするときがあるはずです。しかし、嫌だという思いを棄てないことです。
ただ単にそこから逃げだせば、自分を確立する光明は見えてこないのです。何かないかなと、光を求めることをやめないことです。そうすることが人生の闇を免れるのです。私はそれを体現したのです。
何かないかなぁ〜、何かあるはずだと楽しみを追いかけていたことが私のエネルギーだったと思い返しています。どなたか言っています、「人生は苦楽半々だ」と。今日はどのような苦楽と出会えるでしょうか?楽しみにしましょう。
明日から「心華寺・日本一の会・富士登山」ご参加の皆さん今夜はゆっくりおやすみください。心華寺に前泊されます方はお気をつけてお出でください。お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
※今朝の風景。