日新

おはようございます。

「筍(まこと)に日に新たに、日々に新たに、また日々新たなり」。(大学。古代中国の殷(いん)の湯王(とうおう)は、これを盤(ばん)、すなわち洗面器の器に彫りつけて毎日の自誡(じかい)の句とした。)好きな言葉の一つ。
これは「日々に新しくなること。毎日、旧来の悪いところを改めること」「今日の行いは昨日よりも新しくなり、明日の行いは今日よりも新しくなるように修養に心がけねばな らないと教える」「マンネリを防止すること」です。
この言葉で自分を少しずつ、一歩ずつ高めてきました。自分の行動一つで大きな迷惑を人にかけ、行動一つで喜んでくださることを知ったからです。
心学で尊敬します土光敏夫氏(1896〜1988。実業家。岡山県生まれ。東京高等工業卒。石川島播磨重工業東京芝浦電気などを経営。経団連会長・行政改革審議会会長なども務めた)はこの「日々新たなり」を好みました。
座右銘(ざゆうのめい)を一つ上げろと言われれば、躊躇(ちゅちょ)なくこの言葉を上げたいという。氏は「一日を一生懸命やるために」「正しき者は強くあれ」の中で、「神は万人に公平に一日二十四時間を与え給うた。」われわれは、明日の時間を今使うことはできないし、昨日の時間を今取り戻すすべもない。ただ、今の時間を有効に使うことができるだけである。・・・私は一日の決算は一日にやることを心掛けている。うまくゆくこともあるが、しくじることもある。しくじれば、その日のうちに始末する。反省すると言うことだ。今日が眼目だから、昨日の尾を引いたり、明日への持ち越しをしたりしない。昨日を悔やむこともないし、明日を思い煩(わずら)うこともしない。このことを積極的に言い表したのが、「日新」だ。昨日も明日もない。新に今日という一日に全力傾ける。今日一日一日を有意義に過ごす・・・」。
愚鈍な私は「人生は今日から始まる」といつも思っています。土光敏夫氏のような方でも日々の「眼目を確かにしています」。凡人である私などは殊更眼目を確かにしなければいけません。
私がこの言葉が好きなのは、人は人より(自分がいる世界で)優れていなければ何の評価もしませんし、尊敬もしてはくれません、相手もしません、このことを良い悪いと言っているのではないのです、事実です。
人は料理を作れないのに上手いまずいを平然と云々(うんぬん)する。洋服を作れないのに、いい悪いをいうのと同じかもしれません。これらはみな主観、論理的、客観視ではないのです。人様の主観を大事に聞き入れながら、眼目をぶらさず、日新するのです。
伝教大師様も孔子老子も決して人様を云々しません。私は評価されない側でしたので、自分を相手に黙々と自分磨きをしました。
しかし、人様はどうあれ私は人様を尊敬します。人が失敗したら手を差し伸べます。新たな眼目、問題をくださるのも人様だからです。だから鍛えられました。人様と人様の間にあるから「人間です」。
押し付けはしませんが、皆さんにもこのようにありましょうとお話しします。今日は来年アメリカから少年少女たちを15名〜20名心華寺で修養させて欲しいとのお話があり、その下見にこられます。日本の恥にならないように心華寺よりも立派な寺、立派な僧を紹介させていただきますとお話しさせていただいたのですが、お見えになるそうです。日新の心で今日はお過ごしください。皆様の一日が素晴らしい一日でありますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
☆昨日は心華寺のシンボルの一つ楠を通して撮ってみました。