現実を受け入れる

おはようございます。

11月のお訪ねありがとうございます。今月は一日から副住職の行が始まり、やはり行者が側におりますと日々緊張感があっていいものです。怠る気持ちはサラサラないのですが、やはり緊張感は大事です。
行が大事なことの一つに、「決めた事が決めたとおりに行かない現実に遭遇したときの覚悟」です。たとえ話ですが、坂道で石が転げ落ちるとします、これは人為的に止めることは不可能なことです。
という観点から「物事にはそれ自体に展開していく法則がある」という事実です。「人為の及ばないことが起きる、及ばないことがあるという事実」です。
どうにもならない現実を前にしたときには、「それに適応する方法を学ばなければならない」「精神、心を練り上げる必要がある」のです。行は「やり遂げなければなりません」、行に限らず「仕事も同じです」。
われわれの生活の時間は一方向に流れており、「過ぎ去った時間は永遠に戻りません」。時間の流れは「不可逆的」なことはよくわかっているものの、人生には「時計の針を逆にさせたいようなことがあります」。
私は小僧時代に大きな失敗をしたことがあります。今副住職・誠澄が行っている行を、師匠が行じておられるとき、お側で寝ずの番でお仕えしていたときの事です。「銀瓶(ぎんびん。鉄瓶でなく銀製のもの)」に「丁子(ちょうじ)というお香を入れ魔除けのため匂いを立てる」のです。鉄瓶と違い、銀は熱に弱く、湯の量が減ってしまいますと、「銀が溶けてしまい、穴が空いてしまうのです」。私がうとうとしてしまい、「穴を開けてしまったのです」取り返しが付かない状態です。
どんなに悔やんでも、謝っても、もう銀瓶は元に戻りません。そのとき師匠に諭されました。「挽回できない失敗や人智の及ばない災厄に見舞われたときには、その現実を受け入れて適応しなければならない」と教えられたのです。その後に「火事にならずに良かったな」と。思わず涙がこぼれました。21,2才の頃です。
運命を受け入れたくなくても、「現実を変えることが一切できないのであれば、唯一残された道は自分を変えることだと、その時思い知らされたのです」。
私たちは成長していく過程で「不愉快な事や嫌なことに必ず出会うのです」。ある程度までは避けられるでしょうが、どうしても避けられないのであれば、それを受け止めて適応していかなければなりません。適応できなければ、生活が不安に押しつぶされ、ひどい場合には精神に支障をきたすことになります。
誰でも生きていれば不愉快な場面に遭遇するものです。たとえば、上司から疎まれ左遷させられたり。徹夜で作成した書類に一箇所不備があり、契約が台無しになる。こうした取り返しのつかないことで意気消沈することは意外に多いものです。こうした場合は現実を淡々と受け入れ、現実に基づいて適応していくしかありません。後悔しても何の解決にもならないからです。ただし、「学んだ教訓を忘れないことにはこだわるべきです」。
誠澄の行を間近にして遠い時代を思い起こしました。「素直に受け入れることができるのは、生きていくうえでもっとも重要な才能である」という教えもあります。
一ヶ月のご愛読ご訪問感謝致します。11月最後の今日が喜び多い一日でありますよう。お祈り致します。
皆さん今日は「大根焚き」の大根を抜き、洗う作業があります。どうぞ皆様の暖かいお心でご奉仕ください。午前8時45分集合です。皆様のお力添えをお願い致します。誠澄もきっと喜びます。ありがとうございます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震鳥取地震の復興の支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
☆昨日の朝の新神戸の定宿の窓からの風景。


新神戸駅の裏山です。