私心を持たず

おはようございます。

副住職・誠澄は明日の昼まで地獄の苦しみを味わっているかもしれません。かつての私は最後の一日という時にもがくような苦しみを味わったからです。今思い返しますと、「私心から湧き出た思いです」。渇きから開放されたい、という私欲。
ところが満行の朝を迎えますと「心が澄明になる」「私心にこだわらなくなる」のです。苦しみ、辛さを突き抜けるにはやはり、日数と極限に近い状況が必要なのだと体感させられた一瞬です。修行も学びも私心、名誉利得の欲があるうちは苦しみしか感じられないのです。
菜根譚(さいこんたん)前集65に、こんな言葉があります。
「心身が清廉(せいれん)であれば、暗い部屋にいても青天のような晴れやかな気持ちで過ごすことができる。
しかし、心が陰鬱(いんうつ)であれば、白日(はくじつ)の下でも邪悪な鬼のように殺伐(さつばつ)な気持ちとなる。」
私心が多い人ほど、利害得失を気にします。「そんな気持ちですから利己的な行動に走り、周囲の様子をうかがい、隠れるように動き回るようになるのです。このようなことを自覚しているため、言動には慎重であり、他人を疑い深い目でみる。疑念と不信感が渦巻いている心の持ち主といえます」。
一方、「私心のない人の心は清らかであり、言動は落ち着いて、明るさに満ちあふれ、さわやかな気分で日々を送ることができます」。
北宋(ほくそう)(10~12世紀)の政治家、范仲淹(はんちゅうえん)「岳陽楼記(がくようろうき)」に「天下の憂(うれ)いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」とあります。
彼はこの言葉を体現しました。まず、「自分を省(かえり)みて人を推(お)し量(はか)り、自分よりも他者を優先したのです」。このように在りたいものです。(推し量る:相手の心中を思うこと、仕事が無くなれば大変だ、給料がなくなれば大変だ、何ごとも安定しなければ大変だ、人様の苦しみを我が苦しみとすること等々)
そんな思いで私も修行したはずでしたが、渇きの苦しみに苦しみました。先人が作ってくだされた修行という形は見事なものです。「日限が切ってある」これがどれほどの救いとなったでしょう。自主的に始めても苦しいのです。修行後に気づかされたことです。
日々暮らす中で、「やらされているという思いで日常を過ごしていたのであれば、どれほど苦しいことでしょう」。宮仕えである范仲淹という人は、「自分を省みて世間を推し量った、それで「先憂後楽」、私心を持たずに歩んだのです」。菩薩道、四弘誓願、「伝教大師様の「己を忘れて他を利する」あり方」です。
私利私欲にまみれた者の人間関係は殺伐としたものになるのではないでしょうか?。友人には愛想をつかされ、同僚からは冷たく扱われ、親族からも見放されてしまう。こうして孤独感に苛(さいな)まれながら暮らすことになるのです。
「私心がなければ、天地は受け入れます」。「良心に恥じることがなければ、恐れるものは何もないのです」。普遍的である道理を歩みながら私心に用いたときから苦しみが始まることを思い知らされた「断食・断水・不眠・不臥」でした。苦しかったですが、やはり教えに素直に従ったお陰で気づかせていただいたようです。
明日の誠澄は澄明な気持ちで皆さんにお加持を修します。是非ご家族友人知人の皆様とご一緒におまいりください。今日も爽やかな一日をお送りください。
☆今日も皆様の暖かいご奉仕をお願い致します。今日は午前8時45分集合でお願い致します。明日は午前7時集合にてお願い致します。連日ありがとうございます。感謝致します。
昨日から大阪のKさん、北九州のMさんが泊まり込みでご奉仕にお出でくださいました。ありがとうございます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震鳥取地震の復興の支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
大根焚きの大根を皆さんで切っていただきました。明日は美味しいですよ、おまいりください。



愛媛県八幡浜市、日本一美味しいミカン作り農園一生園さんが「心華寺の木」として育てていただいていますミカンが届きました。Oさん明日皆様へ行者がお渡しします。沢山にありがとうございます。