誠意

おはようございます。

人生はやはり「誠心誠意」が大事、修行をして改めて思います。何故か、それは状況や条件が日々、その都度違うからです。自分の思いと違ったからといって「誠意を欠くようでは教えに反します」。教えに反することが一番よくない天罰が下る。
先日M&Uスクールの受講生の皆さんに「天に事(つか)うること」という話をさせていただきました。「人生経営をしようとする場合、天に仕える気持ちで当たることが肝要で、人の思惑を気にしてはならないのです」。人にということであれば、どうしても人によって対応が違って打算、功利的になりかねないからです。
天に仕えるという気持ちは「和し難い相手であれば誠心誠意を以て事にあたることでしか事の成就、解決はない」のです。老子も「天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして漏(も)らさず」「天の網は広大で、網の目は疎(あら)く大きいが、善意の応報は必ず下して見逃すことはない」。自助努力をする者「天は自ら助くる者を助く」。
誰しも事の成就は簡単ではないことは百も承知。ところが相手の態度、状況の変化で自分の誠意を変えてしまう人がいます。これではいけません。天理、法理は誠心誠意尽くしてこそ事の成就がなり叶うのです。法理、天理に我意の挟む余地は無いのです。
八千枚護摩を修せば、最初から「熱い」ことはわかっています。飲まず食べずにやれば渇き疲労することも承知。時に教えに忠実さを忘れ誠心誠意の心を失っては生命力の爆発はならず、最悪の結果を招きます。それは神仏を欺く、人を欺くことだからです。神仏、天から嫌われる以上、人から嫌われることは最も寂しいのです。大勢の中の孤独が最も孤独感を感じるのです。
法・ご神仏は何もおっしゃいません、行者自身が教えを通し歩み近づいて行くのです。「苦しくなればなるほど誠を尽くすことを知るのです」。行とは何とありがたいことでしょう。自分の潜在している大きな能力を気づかせてくださる。そして加持力が更に増幅されるのです。
人生には必ず大小の岐路(きろ。分かれ道、将来が決まるような重大な場面)と遭遇します。岐路に遭遇し己に負け選んだ楽な道を進めば堕落・地獄の道を選択、誠心誠意の道を選べば後悔のない人生とします。「志は易(やす)きを求めず、事は難(かた)きを避(さ)けず」という後漢書(ごかんじょ)の言葉もあります。志はそう簡単にならないのです。また簡単にならないからこそ修養にも意義が出て生きがいにもなり、志が磨き上げられるのです。
過去は戻りません、だからこそ経験体験を糧にすることで未来に確かに対応できる準備ができます。いかに予定を立てる事が大事かも知ります。そして、それに向かい準備をするかの知識、技術、心を養うのかが日々の修養であることも確かにできるのが、行の素晴らしさの一つです。法を伝えてくだされた師に感謝し今日も勤めに真摯に対します。
最後の一座、誠心誠意を尽くし皆様の大願をご本尊様にお祈り致します。どうぞご随喜ください。皆様の今日一日が幸せな一日でありますようお護摩にお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
糸魚川の大火事、被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げます。
☆最初一座と最後の一座が大事です。

創業150年の松琴堂さんから薯蕷饅頭を沢山お供えいただきました。松琴堂さん「おぜんざい」と重ねてありがとうございます。150年の存続が何故なされるかの精神が伝わります。信心の厚さですね。ありがとうございます。


満行後皆さんとご一緒に「おぜんざい」をいただきました。皆様おまいりお手伝いありがとうございます。感謝いたします。元気に「八千枚護摩供」を修せたのもご本尊様と皆様の外護力の賜です。ありがとうございます。