相対評価しない

おはようございます。

「にんげん学」東京初講座「老子を読む第2回」ご出席の皆さんありがとうございます。皆さんと新年の挨拶ができたことにとても感動しております。人様の思いやりはありがたい。
昨日は老子第二章「お互いがあって意味をなす」納得ですね、相対評価の世界だから不幸な事件も起きます。老子の教えに心を向けましょう。
相対評価して落ち込む人生を送ることほど自分を不幸にすることはないのです。落ち込んでいる人は、自分よりできている人ばかりを見て、ダメだと自分を自分で貶めている、そんなことは止めにしましょう。あなたは、あなたのままで素晴らしいのです。私は中学2年生のときから、人と競争せずの人生を送ってきました。
相対評価」で物事の真価は測れません。「天下皆美(みなび)の美たるを知る、斯(こ)れ悪のみ」。この言葉ずきりと胸にささります?
「みんなが『うつくしいねぇ』と言っているとしても、それは醜(みにく)いものに比べて評価した言葉だろう?もっと美しいものがあったら、人はそれを美しいと言うだろうか」。いかがです、固定観念はいけない、偏った考えはいけないというのです。
これは老子特有の言い回し。さらに老子は、こんなふうにたたみ掛けます。
「有・無だってそうだ。『私が金がない』と言ったって、もっとない人だっている。長い・短いも、高い・低いもそう。みんな、相対評価で判断していることじゃないか。それに、物音と人間の声にいい・悪いはないし、前も後も単なる順番でしかない」
ようするに、何かと比べてどうこう評価することなど意味がないと、老子は断じています。
そして「無為不言(むいふげん)」の教えを説きます。
私たち人間社会は、多くの物事を相対評価しがちです。たとえば、「そんな難しい仕事はできません」と言う場合も、いままでやってきた仕事に比べて難しいというだけで、もっと難しい仕事をすれば、同じ仕事が簡単に思えることもあります。
相対的に物事を見ることで、いかに「思考が不自由になっているか」、「物事の本質を見逃しているか」、ということに気づかされます。
老子は、「物事を見るときは、絶対的な個性で評価しなくてはいけない。そのものだけが有するオンリーワンの個性を観るべきだ」と主張しているのです。そうでないと、物事の見方が貧弱になってしまう。心が開放されない、と言うのです。
皆さん老子をご一緒に学び、自分で自分の心の呪縛を解き放ちましょう。今日も爽やかにお過ごしください。
明日は「にんげん学」京都・大阪合同初講座「言志四録を読む」です。会場は心華寺です。午後1時半受付です。講座修了後会場を変えて懇親会があります。こちらにも是非ご参加ください。宇治川を眺めながらの夕食の一時、楽しく過ごしませんか。「酒は微酔に酔う」お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆昨日の富士のお山です。今年初めてだったので恥ずかしがって雲で少し隠していました。



☆東京初講座ご出席の皆さんありがとうございます。初講座でお目にかかり嬉しかったです。



懇親会です、もう一度皆さん今年もよろしくお願いいたします。