心のスイッチが切り替わる

おはようございます。

今朝の宇治は寒さは余り感じないのですが、ちらちらと雪が舞っています。先日のCMA様の谷口碩志先生、M&Uスクールの梅谷忠洋学長等々、多くの指導者の皆様、社員研修において派遣くださいます多くの企業様、信者の皆様、各地で「にんげん学」講座にご出席くださいます方々と出会えたきっかけはやはり、比叡山に入山したおかげと昨日比叡山の麓の温泉で湯につかりながら考えていました。
「人はあるとき心のスイッチが切り替わるように思います」。私の場合、最初に切り替わったスイッチは「ヘレン・ケラー物語。奇跡の人」の映画で急に向学心が湧き、高校に入り、親友、尊敬する先生との出会い、東京へ出て挫折、そして比叡山開祖、伝教大師の書との出会い、すべて、向学、向上心、情熱、何よりも「伝教大師の社会を憂う慈悲を知ったこと」だったのかもしれません。不出来な私は「世の非情に嘆き、恨んでいた故のヘレンをそだてた、サリバン先生の愛、お大師様の慈悲に感動」そんなことを思いながらゆったりと湯につかり考えていました。
不出来の私が何で「心のスイッチが切り替わった瞬間と出会ったのだろうと考えてみました」。体力も無く、知力も無く、だが「強い者にはあこがれ、知識のある人にもあこがれながら」、何一つせず、怠惰をかこっていた。
考えてみますと、何一つできなかった私ですが、心の奥底で「できるようになりたい」と考えていたことが「素晴らしい人との出会いをもたらした?」のだと思うに至りました。
勉強ができない、体力がないことを恥ずかしいと思っていた小さな自分、しかし「奇跡の人」を観、「人の違いは、怠惰と勤勉、努力するのと怠けること、従うことと反抗することの二つから来たのではないかとおぼろげながら思ったのです」。
そんな思いがしたときから「自分の小さい見栄、誤った欲望を捨て、自分をさらけ出し勉強してみたいと一歩を踏み出すスイッチが入ったのでは」と思ったのです。
ヘレン・ケラーは、自分の思うがままに暮らしサリバン先生と衝突し「真実の自分と出会い悦びを感じ、ヘレン・ケラーになった」。
私もできないことを知りながら自分の思うがままに暮らし、すべてに衝突し、初めて大きなショックを感じる日々、火花を散らし、今までは外にその火花をまき散らし、迷惑をかけていた。しかしヘレンの映画を観て、自分の心に火花が散り、スイッチが入ったのだと、今更ながら感じました。
私の小さな向学心が、社会を憂いる谷口先生や梅谷学長、そして多くの企業の社長様が社員の皆様を慮り研修に派遣くださるご縁に出会えたのだと、温泉のぬくもりで汗と共と一緒に涙があふれました。
比叡山開祖伝教大師様は19才で世を憂い比叡山で世の中の人々の光明になろうと修行実践。「お大師様の志・使命感は誰からの指示、命令でなく自らが発心された」のです。
私も悩み苦しんだのは誰からの指示でも命令でもなく、自ら苦しんだのです。志・使命感を感じるのも、苦しみを感じるのも、同じ「心」。
ああ、賢人とは聖人とは何とすばらしいのか、お大師様は19才で「果たすべき使命のあることを自覚された」のです。ようやく70にしてそこに気づかされました。
私は比叡山に19才でお大師様の教えに少しでも触れることができればと思い、入山。そこで「慈悲」「己を忘れて他を利する」「一隅を照らす。ポストにベスト」という、具体的日課「使命感の実践」にスイッチが入り切り替え、その延長線上で、社会を憂える素晴らしい皆さんとお出会いで来たのだと、昨日は感謝する一日でした。類は友を呼ぶ、朋遠方より来るあり、また説(よろこ)ばしからずや、です。教えは素晴らしい。
皆様の一日が今日も素晴らしい一日でありますことをお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆一昨日の宇治川沿い。

昨日の朝の夜明け前。私の夜明けのようでした。