書を読む

おはようございます。

毎日、いろいろな書を読みます。今夜は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」ですので、今日は老子を読むようにしています。
先日「孟子」を読んでいて「思則得之(しそくとくし)」という言葉が心に響きました。意は「思えば則ちこれを得る」ということです。これは「どんな難しいことでもずっと考えているうちに必ず理解できる」というものです。さらに、「自分で思ったことは必ず実現する」、「自分が本当にそれを思うと、自分で手にいれることができる」とも解釈できます。
孟子は積極果敢な人生を送った人です。私は臆病な人間ですので、メンターとして憧れるものを持っていますので、好きです。
「読書百遍意自ずから通ずる」という言葉もありますが、これは繰り返し繰り返し読めば、意味が自然と理解できると言うことです。私の読むというのは、ただ読むというだけではありません。体得する、インプットしたことを日常の実践の中でアウトプットして自分で自分をチェックし身につけることです。
論語、為政第2、15に「子曰く、学(まな)んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し。」    
意は「孔子言う、或(ある)いは先輩について学び、或いは書物によって学んでも、その学んだところを自分の心に問いよく考えてみないと、学んだことがぼんやりとしていて、本当の意味は了得(りょうとく)されない。これに反して、自分の乏(とぼ)しい知識経験を本としてただ心の中に思い詰めるだけで、ひろく他人に学び、或いは古人の教えに学び検証しないと、的(まと)をはずれた方向に進みがちとなり、危険この上ないものである。」
この教えは個人の修養においても、仕事場での修養としても共に大切な心がけです。色々のことを聞き知り見知っておりながら、そのことが真の知識ともならず実行にも至らないのは、どういうことなのだと、思わざる、考えない罪です。せまい思想の殻(から)に閉じこめられて、ややもすると常軌(じようき)をはずれた行いをなすに至るのは、学ばざる罪、人から学ぼうとしない罪です。
学ぶことは方向(目標)を示すのに役立ちますが、それだけでは力に乏しく。思うだけで学ぶことを知らないと、ともすると、的をはずれた強い弩(ゆみ)の過ちを犯しがちとなり、八つ当たりをしたり、周りの人を傷つけてしまうことになりかねませんので要注意です。
師というものは、直接の師もあれば、このように書物の中でも得られます。書物の中で得た師は言葉を発してくださいませんので、直接教えをいただく以上に己自身が「工夫をすることが嬉しいのです」。
心学の書は己を戒め、そして気持ちを高揚させてくれる最高の言葉が網羅されています。心学の書を読みますと、何が良いかといいますと、軸がぶれなくなります。自分の骨格を作ってくれるのです。私の好きな「ポストにベスト」も然り、「事上磨練」、「天命」「上善如水」等々、真理を示す言葉を胸に保てば現実の様々な問題に直面したとしても、己を見失わないのです。
今夜は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」会場でお待ちしております。今日は「思えば則ちこれを得る」をしっかりと考えお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
☆美しい麦秋です。自然の力と人の素晴らしさを感じました。