心に快を感じる道が、あなたの人生の道

おはようございます。

今朝も雨が残っています。昨日は台風を心配しながら大阪に向かいましたが、講座への行き帰りはさほどのことも無く助かりました。しかし、ラジオのニュースを聞いておりますと、大変な感じもします、くれぐれもお気をつけて下さい。何ごとも無いことを祈ります。「にんげん学」大阪講座、人生充実の必勝法「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。昨日から改めて「老子」を再度学びたいと皆様の要望で第一章から学び直しです。
嬉しいですね、学べば学ぶほど心学はおもしろみが出る、味わいを深くします。如何に固定観念に縛られているかを感じてきます。それを知って下されたことがとても嬉しく思います。
人間、プラスマイナスで学んでいるうちは血肉になりません。人間性も豊かになれません、損得、利害でしか人間としての関わりができず、結局は淋しく悲しい孤独な人生と化すしかないのです。第一章を紹介します。味わって何度もお読み下さい。
「第一章 道の道とすべきは(この世界の始源(しげん)ー「道」)
道の道とすべきは、常の道に非(あら)ず。名(な)の名とすべきは、常の名に非ず。
名無(なな)きは天地の始め、名有(なあ)るは万物の母。
故(ゆえ)に常に無欲にして以(もつ)て其(そ)の妙(みよう)を観(み)、常に有欲(ゆうよく)にして以(もつ)て其(そ)の徼(きよう)を観る。
此(こ)の両者は、同じきに出(い)でて而(しか)も名を異(こと)にす。同じきをこれを玄(げん)と謂(い)い、玄(げん)の又、玄は衆妙(しゆうみよう)の門(もん)なり。」
訳、「これこそが理想的な「道」だといって人に示すことのできるような「道」は、一定不変(いつていふへん)の真実の「道」ではない。これこそが確かな「名」だといって言いあらわすことのできるような「名」は、一定不変の真実の「名」ではない。
「名」としてあらわせないところに真実の「名」はひそみ、そこに真実の「道」があって、それこそが、天と地との生まれ出てくる唯一(ゆいいつ)の始源(しげん)である。そして、天と地というように「名」としてあらわせるようになったところが、さまざまな万物の生まれ出てくる母胎(ぼたい)である。
だから、人は常に変わりなく無欲で純粋であれば、その微妙(びみよう)な唯一の始源を認識できるのだが、いつも変わりなく欲望のとりこになっているのでは、差別と対立にみちたその末端(まつたん)の現象がわかるだけだ。
この二つ微妙(びみよう)な唯一(ゆいいつ)の始源(しげん)と末端(まつたん)のさまざまな現象との二つは、根本的には同じでありながら、「名」の世界では、道といい万物というように、それぞれ違った呼びかたになる。その根本の同じところを「玄(げん)」はかり知れない深淵(しんえん)と名づけ、その深淵のさらにまた奥の深淵というところから、もろもろの微妙な始源のはたらきが出てくるのだ。」
何度も読んで味わって下さい、如何に私たちは言葉に縛られ、差別と相対の世界にがんじがらめにとらわれ人生を貧しく生きているかが感じ取れるはずです。今現在「これでなければ」と思い悩んでいる方がありましたら、過去の呪縛を捨て、過去の成功、失敗を捨て、自分の心が素直に「快を感じた道を歩みなさい」と老子は説くのです。それが「あなたの道ですよ」と。学んだ道が心で快を感じず、自分で自分を偽るような道は道では無いと諭すのです。皆さんご一緒に学びましょう。上下、上手下手、という差別の世界で苦しまず、自らを解放して充実した人生を歩もうではありませんか!皆さん。
今日は相手の立場に立って感じ取る一日を過ごしてはいかがでしょう、新たな道が見えてくるはずです。小さな快から今日は始める一日としてください、それが大きな快となり、人の目を意識せず堂々と自己確立ができるようになります。
明日は「にんげん学」一宮講座、対人関係の要道「新・論語を読む」、明後日は東京講座、人生充実の必勝の法「老子を読む」です。各会場に楽しみに出かけます。お友達をお誘いの上ご出席下さい。ありがとうございます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
大般若経六百巻転読会法要でKさんがご奉仕下さいました。「お絵かきお地蔵さま」です。Kさんは売り上げすべてをチャリティ寄金に寄せてくださいました。Kさんありがとうございます。感謝いたします。



☆「にんげん学」大阪講座、人生充実の必勝法「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。

皆様へ毎月ありがとうございます。生菓子は伊丹・寶樹庵のYさん、サンドイッチは大阪のKさんです。ごちそうさまでした。毎月皆様へ感謝いたします。