実学

おはようございます。

悩みを作り、苦労を多くする人の特徴といいますか、共通点といいますか、それは「頭でっかち」ではないかと感じています。私は「知ることは行うこと」とはっきりしています、物覚えが悪かったからです。成績が良くなかった原因の一つ、覚えなければならない理由が私にはわからなかった。
世に実学ということをいう人は多くいます。実学とはどのようなことをいうのでしょう。それは「人間の実生活に役に立つ、活用できる「学問」ということ」です。それはそのまま「仕事につながっているのです」。
会社に入り、不平不満をいう人がおります。自分の事を生かしてくれないと!。それは実生活ということを知らない不平です。人生は学んできたことを役に立てることも大事ですが、それ以上に今の仕事、目の前の仕事から学び活かすことが過去に学んだこと以上に大切です。これが「実学」。
二宮金次郎(尊徳翁)は「本を読んで何も実行しない人は、ただ知識だけを覚えていて、人から聞かれたら、ただそれに答えるだけだ」。このように言っています。
会社に行って会社に不平不満を言う人は概ね「頭でっかちの人が多い」。金治郎の「頭でっかちになるな」という話の逸話があります。後に金治郎の一番弟子といわれる、高田高慶が評判を聞いて、弟子になるときの話です。
「高慶に「豆という字が書けるか」と尋ねた。高慶はいぶかしく思いながらも「豆」という字を書いた。
金治郎は縁側に高慶が書いた「豆の字」と本物の豆を置き、馬小屋から空腹の馬を一頭連れてきた。「さあ、すきなほうを食べろ」と金治郎が馬にうながすと、もちろん馬が「豆の字」を食べるはずはなく、本物の豆を無心に食べた」。という逸話。
金治郎が高慶につたえたかったこと、それは単なる文字と実物は違うということ。書物で勉強したいろいろな理論や思想も、実際に生活をする中で生かされなければ意味がない。もっといえば、「無用の長物となる」。現実から学ぶことがなければ知識は徒(あだ)になるのです(徒・実を結ばないさま。かいのないさま)。
現実生活の中で汗を流し、工夫をし、そこから学び周りの人と喜びも楽しみも共有することが人生です。己の知識だけを認めて欲しいなどと言う我欲の小さい人間ではとうてい共にする人間、仲間などできる道理はないのです。
己の知識に頭でっかちになって現実生活から学ぼうとしない人間は、己にも人様にも仇を為すようになってしまう危険性をはらんでしまうのです。
実生活の中から学び、仲間同士が血の通うおつきあいをしてこそ、人生は豊かに楽しく過ごせるのです。今日も現実実生活から多くを学びましょう。それが工夫改善、人様に役立つ学び喜びです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆昨夕の夕景。