叱られて親切を知る

おはようございます。

修行時代のことを思い出すのはやはり年齢のせいか?、褒められたことはありませんが、よく叱られた、兄弟弟子の中で一番叱られた。叱られたお陰で今があるのでしょう。叱られるとは、磨きを掛けられると考えていた。お山で修行中に叱られたお陰で、下山し心華寺ご開山さんに叱られても、素直に反省できました。
比叡山で小僧生活をまるまる11年過ごした生き方と今の生き方は変わっていません。言われたことをただただ黙々とやる。上手下手、遅速は指示された方が感じるという覚悟。とにかく必死、叱られる、叱られないを考えず必死。指示されたことで新たな知識、学びが出来る,修正する喜び。
弟子仲間で、知らないことや苦手を指示されれば、何で出来ないことを言いつけるのや、と腐って不平不満を言う仲間が居た。このようでは新たな自分の扉が開かれないことを仲間の行動が教えてくれた。
叱られたり、注意されることを喜んだ。自分では思いつかないこと、考えも及ばないことを知るという喜びに気づく。そうすることで指示してくれた人とのキャッチボールができるように。同志のような思いで話してくれるようになった。指示してくれる人の多くは親切で思いやりがある。この事実を知ったことが大きかった。
格好いい書き方かも知れない、同じ土俵に立つという、小僧でありながら大僧正と話しができる、大僧正の仕事が出来る、そして教えてもらえる。一段一段階段を昇らなくとも、最高位に居る。従う道理の凄さを知った。
その時から徹底して使われやすい、使いやすい自分を目指した。今夜は「にんげん学」小倉講座、人生充実の法「老子を読む」。
世間の多くの人は、出来ることで社会に役立ちたいと、過去に執着して世間を狭くしているように思える。老子のTaoは自然、今を生きることを教えている。出来ない、出来るという二元的相対的な世界を捨てよと。
今を生きるとは、できる出来ないを超えて実学をせよと。出来なければ学べば良い、出来れば淡々と対処すれば良い(上手下手を心配せず)。
皆さん、学びは成功するために学ぶのでは無く、成功したり、失敗したりしたときに自惚れないように、そこで学びを怠らない、落ち込みすぎない人間性、自然体を確立するためのものです。Taoは変化、創造変化の連続を教える。過去の知識にこだわるのは、そこで停止、停滞、自然Taoは循環。会場でお待ちしております。今日も実学する豊かな一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
☆玄関の花が咲きました。そして駐車場の可愛い花です。