水のように

おはようございます。

「にんげん学」東京講座、人生充実の必勝法「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。「水のように、自然体で生きる」、老子は水のありようをこのよなく愛しています。柔軟さしなやかさを人生の最高の在り方としていたのです。
「最高の善とは、水のようなものです。
 水は万物を潤し、利害を争うこともしません。
 そして、誰もが嫌う低いところにとどまっています。
 こうした徳があるからこそ、「道」に近づけるのです。
 人が避けたがる低いところに身を置き、心を静かに深く保つことをよしとします。
 誠意を尽くして人と付き合い、信頼を重んじて話し、政治はよく治まるように行い、何 ごとも自然体
で応じ、臨機応変に行動することをよしとします。
 まさに水のように誰とも争わぬ美徳を備えているので、誰からも恨まれることがないのです。」
老子は水の性質を用いることで高い品徳を持つ人物を表現しています。一つには柔らかいこと、二つには低いところに身を置くこと、三つには万物を潤し、しかも万物と争わないことです。すなわち、相手のことを考えて動き、周囲と争わず、人びとの嫌がるところに喜んで行き、人々がやりたがらないことを自ら進んで手がけるような人です。
処世術に長けた人の優れたところは、さまざまな状況に対して水のようにうまく適応した生き方ができることです。不遇なときを過ごしても、些細なことは耐え忍び、寛大な心で応じます。多少の壁が立ちふさがるときには、無理をせず、水のように回り道をする。そうすれば、無用の混乱やトラブルを引き起こさずに済み、不必要な犠牲を出すことなく、紆余曲折(うよきょくせつ)を経ながらも前進し、希望をつなぐことができるからです。
水のような処世の仕方を考えるうえで、大きく二つの状況を想定するといいでしょう。一つは逆境です。心身が苦難や圧力で折れそうなときには、「屈する」ことも必要です。譲歩や我慢で状況を収拾し、実力を保ち、次の機会が到来するのを待つのです。
もう一つは順境です。何ごとも自分に有利に運ぶときには、「伸ばす」ことを心がけます。順風に乗って万里を飛び、トントン拍子に出世し、さらなる高みにのぼる。このように、自分を取り巻く状況に応じて、自らの対応を変化させるのです。
気丈な性格は尊い資質ですが、物事には限度があります。困難や挫折に直面しても屈しない態度は立派とはいえ、あまりにも徹底しすぎると問題が生じます。気丈な人は精神的に頑強ですが、不遇なために精力を使い果たし、やせ我慢の限りをつくしていると、次の機会が訪れても再起できなくなるかもしれません。
これに対し、柔弱な人は生き延びやすいものです。大海が百の河川を受け入れるように、柔弱な人には包容力があります。ただ、いつでも柔弱な対応に終始していると信頼感を失います。ときには意地をみせないと、周囲から相手にされなくなります。
現実の世界では、不本意なことは多いものです。仕事環境が劣悪である。人間関係が冷え切っている。責任の重圧に苦しんでいる、給料が少ないなどさまざまな悩みがあります。自分の生活に不満を覚え、他人や運命を怨む人も少なくありません。
ですが、静かに考えてみましょう。環境を何とかして変えたければ、現実の不満要因をなくす努力をすべきです。それが無理であれば、環境に適応させることも考えるべきです。
山が動かないのであれば、自分の方から近づけばいいのです。
水は生命の源であり、人も動物も植物も、水のお陰で生かされています。水は、丸い器に入れれば、その形に合わせてフッと丸くなり、四角い器にいれれば、その形にあわせてスッと四角になります。「幸福をつかめる人は、水のように生きる人」です。それは、
周りの人たちに、恵みを与える存在になる。
相手に合わせることを心がけ、争わない。
謙虚な気持ちで、人を尊重して生きる。
ことです。「水のように生きる」と、どんどん幸せになるのです。だから私は水神様を信仰しているのです。だから幸せの思いと行動で日々過ごしています。人生を我で生きなければ楽で豊かに在ることができるのです。我を出し難しく生きる愚は止めましょう。
柔軟に週末をお過ごしください。来月の東京講座は9月15日(金)です。来月までお元気にお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
☆「にんげん学」東京講座、人生充実の必勝法「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。来月もご一緒に学びましょう。