内を修める

おはようございます。

先日、京セラにお勤めで無事定年退職しましたYさんが、定年と新しい旅立ちのご報告とお礼のおまいりにお出でくださいました。Yさんは、ありがたいことに、ブログを毎日お読みくださり、自筆して残してくだされています。ですから20年続けて下されているということです。
そのお陰で第二の人生にも恵まれましたというお話をお伺いし、感動しました。その時に「仏教聖典」の話も出て、買い求めましたという嬉しい話も、ありがたいですね。何も言わずに実践して下されている、生きる姿勢を見習わなければいけないなと新たな想いをさせていただきました。
そんな思いから「仏教聖典」の「内を修めないで、外を守ろうとするのは誤りである」という話です。
「あるとき、釈尊が托鉢のために道を歩いておられると、一人の青年が路上で東西南北上下の六方に向かって拝んでいる姿が目にとまりました。「あなたは何のために六方を拝んでいるのか」と尋ねると、シンガーラという名のその若者は、「どういう意味か知りません。これは亡き父の遺言ですから、いわれたとおりにしているだけです」と答えました。そこで、釈尊は「あなたの父親が六方を礼拝せよと遺言したのは、ただ拝めばよいということではなかろう」と述べられ、「では、この六方礼の意味を教えて下さい」とたずねたシンガーラに対して、次のように諭されたのです。
災いが内からわくことを知らず、東や西の方角から来るように思うのは愚かである。内を修めないで外を守ろうとするのは誤りである。
朝早く起き出て口をすすぎ、顔を洗い、東・西・南・北・上・下の六方を拝んで、災いの出口を守り、その日一日のしあわせを願うのは、世の人のなすところである。
しかし、仏の教えにおいては、これと異なり、正しい真理の六方に向かって尊敬を払い、賢明に徳を行って、災いを防ぐのである。(中略)
このまことの六方とは何かというと、東方は親子の道、南方は師弟の道、西方は夫婦の道、北方は友人の道、下方は主従の道、そして上方は教えを説く者に奉仕する道である。(中略)
六方を拝むというのは、このように、六方の方角を拝んで災いを避けようとすることではない。人としての六方を守って、内からわいてくる災いを、自ら防ぎとめることである。」
いかがです、素晴らしいお釈迦様の教えです。東方の親子の道とは「子は父母を養い、父母のために働き、家系を守り、家督を相続し、祖先に対して供物を捧げることである」と教えられ。「親は子の悪を遠ざけ、善をすすめ、知恵・技能を学ばせ、結婚させ、適当な時期に家督を譲る」ことだと示されます。
師弟のありかたは「弟子は師に対し、席を立って迎え、よく近くで仕え、熱心に聴聞し、供養を怠らず、謹んで教えを受ける」と説き。
「同時に、師はまた弟子に対して、自ら身をただして指導し、自ら学び得たところをすべて正しく授け、よく会得したことを忘れないようにさせ、引き立てて名を表すようにし、どこにあっても利益と尊敬を受けられるようにする」べきであると説かれます。
更に、夫婦、友人、主従、そして私たち宗教者と信者の関係に及ぶまで、「人としてのあるべき姿を詳細に説かれたのでした」。
これらのことがらは、一般社会における倫理・道徳にかかわるもので、必ずしもさとりに向かう仏の道というほどのものではないといえます。しかし、釈尊は、「悪を退け善に向かおうとする自分の心のあり方が、人生における安らぎと歓びを生みだす根源であることを教え」。
日常生活を脅かす不安や苦痛は、どこかの方角から押し寄せてくるものではないという真理に目覚めるよう促しておられるのです。
私たちは「内に向かって自分自身の生き方として問いかけていくことが、豊かな人生の第一歩であることに目覚めるべきです」。だからこそ、釈尊は「内を修めないで外を守ろうとするのは誤りである」と説かれたのです。
今夜は対人関係の指南「にんげん学」一宮講座「新・論語を読む」。明晩は人生充実の必勝法・克己の学「にんげん学」東京講座「老子を読む」、すべて「内を修める学」です。今日も内を修め楽しく過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
NPOこころのはな「子ども食堂」ご来店ありがとうございます。昨夜は63名のご来店でした。次回来月の開店日は10月4日、10月11日の二日です。午後4時から7時開店時間です。小学生以下は無料。中学生以上保護者の方は300円いただいております。ご予約下さい。0774-45-5561までお願いします。予約後キャンセルの場合もお電話をいれてください。
メニューは「ふわふわエビ玉甘酢あんかけ」「野菜炒め」「かぼちゃスープ」「桃のデザート」「ご飯」でした。来月もお待ちしております。