愛がすべて

おはようございます。

今朝は対人関係の指南書「にんげん学」一宮講座「新・論語を読む」の会場をご提供いただいておりますG社長様のお宅にお世話になっておりますので、少しゆっくりの目覚めです。爽やかな朝、8時から会社の皆様への朝礼の講話をさせていただいた後東京へ移動です。
昨夜の講座にご出席の皆さんありがとうございます。心学はやはり大切です。読む度に新たな気づきを受けます。昨夜は孔子の子供に対する愛情のかけ方、躾け、社員さんへの教育、友人関係においてのアドバイスの仕方を学びました。
「愛がすべて」と、論語、憲問(けんもん)第14-18にあります。「子曰く、これを愛して能(よ)く労する勿(なか)らんや。これを忠にして能く誨(おし)うること勿らんや。」
意は「人を愛したならば、敢えて苦労を背負わせなければならない。人に対して誠実であろうとするならば、諭(さと)さずにいられない。」
これは「間違った愛、間違った誠実」は駄目との教えです。間違った愛と、間違った誠実ほど、やっかいな事はありません。
例えば子どもの事を甘やかしたり、きちんとしつけをしないという間違った愛を注いでしまった場合、子どもがダメになってしまう可能性があります。
また間違った誠実は、例えば友人の誤りを、気分を害するからといって指摘しないと、かえって友人を窮地に陥れる結果となる事もあります。
本当にその人を愛しているのであれば、相手が苦労だと思うような事もさせないといけないのです。
人と接することは、とても難しいことです。だから「愛と忠を以て人に接する」ことが大事です。よかれと思ったことが、まったく違う方向に作用したなどという事もあります。そこで大事なのは、「愛を持つこと」と、「忠であることです(忠とは相手に誠実であること。誠実とは確かに相手のことを心底思いやることで、相手に嫌われるのではと、アドバイスをしないのは誠実ではないのです、というよりも、誠実に助言できないのは、助言できないような関係、打算の付き合いを続けていたのです)」です。愛と忠を以てすれば、自分の情熱は相手に伝わります。
「愛」とは相手の事を思いやるということです。しかし、相手のすべての要求を聞くということではありません。愛を持って厳しく接することでもあるのです。孔子にとって弟子達は、子どもであり、大切な友人でもあったのです。師友の関係です、師友は切磋琢磨できる者同士でなければできません。ですから、だらしなく昼寝をしていた弟子を叱責したこともあります。しかし、これも孔子が弟子を愛し、立ち直らせたいという誠実な気持ちがあったからこそ言えたのです。
お互いを思いやり、時には必要な厳しさを示したときに、私たちは本当の愛に気がつくのではないでしょうか。
経営者の方や上司の方が部下の方を厳しく叱れないのは真の愛情、思いやりがないからかもしれないと知るべきでしょう。今日の政治家の方々は真実の同志が集まっていない故の諸問題だと私は感じ受け止めています。真の友人、同志であるならば、お互いがお互いを尊敬し合い、社会をリードしていく責務を負っているわけですから、お互い助言、アドバイスを合い聞き入れなければいけません。先ず内側から正す、お手本を示すのが政治家ではないでしょうか。
誰でも過ちは犯します、だからこそ「過ちて改めるに憚(はばか)る事なかれ」。事前に気づいた人があればアドバイスをする、身内の誤りに対しアドバイスができなければ社会を修正することなど覚束きません。
昨日の六方礼拝と今日の記事を合わせてお読みいただきたいと願っています。今日は愛と忠に心してお過ごしください。
今夜は人生充実の法・克己学「にんげん学」東京講座「老子を読む」、東京地区の皆さん楽しみに向かいます。会場でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
☆対人関係の指南書「にんげん学」一宮講座「新・論語を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。

懇親会「かに屋」さん毎月裏メニューをありがとうございます。




熱々の味噌煮込みうどんを食べるため、穴の空いていない蓋に取って食べます。