天、私無し

おはようございます。

昨日は肌寒い一日、雨の休日でした、今朝もまだ降っていますし寒い朝です、お体ご自愛下さい。
休日を利用して外出の予定を立てておられた方は残念だったのではないでしょうか?、しっかり休養を取ろうと考えていた人にはうってつけの休日だったかも知れません。
「天無私(てん わたくし なし)」という語があります。天は天空という意味ではなく、「天、何をか言うや、四時行わる」などという場合の天です。大自然を人格化したものです。また「私」とは、あれやこれやと思慮分別にわたり小細工すること、私心・私欲・私曲(不正な手段で自身だけの利益をはかること。利己心があって正しくないこと)などの私です。
「天、私無し」はいろいろに解釈できますが、その最も重要な意味の一つは、大自然は公平無私で万人・万物に対して平等であるということです。事実、太陽は善人にも悪人にも平等公平に、光と熱とを送り、風は富者にも貧者にも涼を運んでいささかの偏(かたよ)りもありません。
またもう一つの意味は、大自然のはたらきは少しの無理や作為もなく、それだけに凝滞(ぎょうたい)がなく整然としていることです。
実際、日月星辰(にちがつせいしん)の運行の一糸乱れぬ整然さ、春夏秋冬の循環とそれにともなう自然の変化の霊妙さは、能『定家』の物語にあるように、「いつわりの無き世なりけり神無月 誰(た)がまことより時雨(しぐれ)そめけん」と詠歎しているが如きです。
昨日もおまいりで外に出ることがあったため、思わず空を仰いでため息が出てしまいました。私たちも自然の一環であるのに、自分で心をざわつかせてしまう、なぜ天のように私無く行動できないのでしょうか?ほかでもない、思慮分別にわたり小ざかしい作意をうごめかすからです。時折このように自分の器の小ささに愕然とします。
チッポケな我を殺し、私心を去って大自然のように公平無私に、かつ無作無心に生き、天地自然のリズムとそのリズムを一つにして生きたいものと念じ新しい週の始まり護摩を修し己を修めたい思います。天に習い、「則天去私(そくてんきよし)」という語もあります。「無私なる天に則り、私心を去って造作にわたらない」という意味です。
今夜は「にんげん学」京都講座、人生充実の必勝法・克己学「老子を読む」。Taoに沿い無私に歩みましょう。私心・私欲・私曲なるが故に惑い苦しみとなるのです。会場でお待ちしております。充実の一週間をお過ごし下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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☆昨夜京都タワーが雨の中に美しく輝いていたので、思わずパチリ、フロントガラスの雨も。