有の裏側にある無を見る

おはようございます。

「にんげん学」東京講座・人生充実必勝法・克己学「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。
老子第11章「有の裏側にある無を見る」という話し、深い話しです、とても大切。本文を紹介しましょう。
「車輪は、30本の輻(や)(スポーク)が轂(こしき)(車軸を通す穴)を中心に集まってできています。
 その中心が空洞だから車軸が通せて車輪の役割を果たすことができるのです。
 器は粘土をこねてつくりますが、中が空洞で何も無いから使えるのです。
 部屋は戸口や窓を開けてつくりますが、中が空間になって何も無いから使えるのです。
 つまり、形が有るからこそ便利だとされるものは、その裏では形の無いことでの働きがあってこそなのです。」
私たちの普段の生活では、有形なものやその働きには注意を払いますが、形のない空虚なものやその役割には気づかないものです。これについて老子は「有」と「無」、あるいは実在するものと空虚なものとの関係を説いています。すなわち、「有」と「無」は相互に依存し、相互に働きかける関係にあるということです。
無形のものは多大なる役割を果たしているものなのですが、それがなかなか理解されません。そこで老子は、この章で三つの例を挙げて説明しています。
1、車輪の轂(こしき)の中心部は空洞(「無」)でないと役に立たない。空洞という「無」がなければ、物も運べず、車輪としての用を足せない。
2、茶碗や食器は中が空洞であり、この部分がなければ器としては役に立たない。
3、部屋の中が物で埋め尽くされていては、中には入れない。
老子は「有」と「無」が不可分であり、互いに補い合う関係にあると考えていました。これが「道」であり、「老子」を支える哲学です。
無があって有がある。有があるから無があるという補完的な関係というよりも、無と有は渾然一体とした考え方であることを主張しています。
有だけに目を奪われず、無の存在も常に意識しておくことで、物事の本質が理解できるようになってくるということを示しているのです。
順境のときこそ、逆境に備えるのはその一例であり、また、幸福に喜ぶ人がいる一方で、不幸に苛まれている人もいます。そうした不幸の人たちに目を向けることが人間性を豊かに広げるうえでとても大切あことであるなど、常に物事を表裏一体で考えることが重要であることを老子は示唆しているのです。
有にばかり目を奪われ無の存在を知らずにいては、自らの存在を自ら危うくするものでもあることに要注意すべきでしょう。
無、空、お陰様の心をしっかり養う週末にしましょう。
昨日から開催されていますCMA様主催「リーダーシップ禅寺合宿一泊二日研修会」にご参加の皆さん夕方までご精進ください。
明日は第二日曜日ですので心華寺「水子供養祭」を午前10時から勤めます。あなたしかしらない存在です。どうぞおまいりご焼香ください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
※どのようなご相談でもどうぞ。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
☆心華寺で参籠修行をしてみませんか、非日常の空間に身を置き、作務(掃除)、読経、坐禅、写経、五官の対象をすべて聖典に置き、自身と対峙する。新たなあなたが見えてきます。
☆「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。Mさんお花をありがとうございます。


KさんWさんにお菓子を皆さんにといただきました。ありがとうございます。


懇親会です。遅くまでありがとうございます。来月12月は本年最終講座となります、お目にかかれますことを楽しみにしております。