恥の文化を

おはようございます。

「にんげん学」一宮講座・人心掌握法・対人関係の指南書「新・論語を読む」本年最終講座ご出席の皆さんありがとうございます。
論語の教え心に響きます。教えが如何に大切か、思いやり仁愛が如何に大切かを思い知らされます。「不正を恥じ正しく生きる」という孔子の教え。
「死にたい」というSNSで発信した若い子を殺すという非道きわまりない事件、これは「恥の意識の欠落が根底に在る」「恥じる心を教えていない事件」ではないでしょうか?。
論語、為政(いせい)第2ー3 「子曰く、これを道びくに政(まつりごと)を以(もっ)てし、これを斉(とと)のうるに刑を以てすれば、民免(たみまぬが)れて恥ずること無し。これを道びくに徳を以てし、これを斉(とと)のうるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格(ただ)し。」。
意は「規則や法律を整備して、違反したらビシビシ罰する。そうすると、法にふれなければ何をしてもいいと思うようになる。だが、道徳や礼儀を教え、内面から自らの行動を律するようにしていけば、誰もが不正を恥じ、正しい行動をとるようになる。」。
「恥の意識を持つことで、犯罪は減っていく」と孔子は説くのです。孔子の時代の中国には、需家以外にも法家と呼ばれる人たちもいました。法家は「法治主義」を唱え、儒家は「紱冶主義」を大事としています。
法家は「規則や法律を整備して罰を与えれば国を統率できる」と古代中国諸侯は考えていたのです。これに孔子は異議を唱えたのです。
いくら法を作ったとしても完璧ということはあり得ません。所詮その網をかいくぐられては、また新しい刑罰を考えなければいけない。「いたちごっこになるだけだ」というのです。
今日の日本でも、裁判員制度や、未成年の犯罪者の厳罰化、選挙権を18歳にするなど、責任感を持たせるために厳しいルール作りをしていますが、道徳教育、礼節を教えていない。
法律を大事として守るようになるには、徳と礼儀によって道びくことが大事です。道徳と礼儀の道を歩んでもらうことで犯罪は減っていくのです。
私が生まれる一年前、アメリカ人のルース・ベネディクトは著書「菊と刀」の中で日本文化を「罪の文化」「恥の文化」という言葉で表現しました。「恥を日本文化の特色」としてとらえたのです。
私たちの先人は「法律に反するかどうかというだけでなく、倫理に叛く行為か否かを判断基準としたのです」。
昨今の低年齢や高齢者などを対象にした犯罪などを見ますと、「恥の文化・概念」が急速に失われていることをうかがえます。犯罪は「社会を映す鏡です」、「恥ありて且つ格(ただ)しい人が減り」、「免れて恥ずることの無い人が増えている証拠」ではないでしょうか。心学の輪を大きく「己を格(ただ)す人を多く」したいと微力ながらはげみたいと一層強く思っています。「格す」とは「道理や法則に合うように、行いをただしくする。あやまちを改める」ことです。日本のリーダーが格すことを怠っているようにも感じています。
「上濁(かみにご)れば 下濁(しもにご)る」のが道理、上にいる指導者が心濁っていれば下に居る、下流に居る国民は濁ってくるのです。昨今の上場各社の不正が上に立つ者の恥の文化が消え失せた証かもしれません。それでは賢明にマジメに働く若い人たちが犠牲になってしまいます。政治家の方々にも心学を率先していただけるよう願ってやみません。
中部地区の皆さん一年ありがとうございます。お元気に良い年をお迎えください。新年1月11日(木)が新年初講座です。元気に新年の挨拶を交わせますよう、ありがとうございます。
今夜は「にんげん学」東京講座・人生充実の法・克己学「老子を読む」東京地区の皆さん本年最終講座楽しみに出かけます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。
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☆一宮講座懇親会の料理です。「かに屋」さん一年ありがとうございます。来年もよろしくお願いいたします。







ごちそうさまでした。