修養

おはようございます。

三が日は良いお天気に恵まれました。昨日は時折時雨れたり、あられが降ったりする寒い日でしたが、今日からお仕事が始まる方も多いので自然は気を引きしめてくれたのかもしれません。
比叡山下山時はだれ一人年越しをご一緒くださる信者さんはおられませんでした。毎年大晦日から新年の3日間はいつも比叡山から下山した当時のことが思い出されます。
年末から新年にかけてご一緒に年越しを下さいました方には心より感謝致します。そして一昨日二日の心華寺・金港辯財天様「初・月例・幸福開運護摩祈願祭」にも沢山の皆様におまいりいただいたこと感動しております。
荀子(じゅんし)の「原清(みなもときよ)ければ則ち流れ清く、原濁(みなもとにご)れば則ち流れ濁る」を思う3日間でした。私は率先垂範とまではいきませんが、「わが身を正す」ことが荀子は大事と教えています。
「源が澄んでいれば、おのずから流れも澄み、源が濁っていれば、流れもおのずから濁る」。読めば、なるほど、そうだよなぁ〜と誰しも思うはずです。誰も濁った水を飲もうとはしません、美しく美味しい水を飲むのです。
教えは正しくとも、教えを広める人を通して私たちは、教えを受けたいと感化されるのです。それが流れ、法流です。
私に限らず、上に立つ者は率先してわが身を正し、お手本を示さなければならないのだと荀子はいうのです。また人間としても身を正すことは基本だというのです。このような行動、生き様、姿勢にこそ、信頼というものが得られるポイントがあるのではないでしょうか。
お勤めなされている皆さんは、先輩や上司の方に注意されたり、叱られたりする時は必ずあります、そんなとき、先輩上司を見て、「あなたにだけは言われたくない」などと思うときはありませんか?いかがでしょう。人を正そうと思いながら、逆に悪い結果を招くようではいけません、これは、すべからく自身が率先して修養しない結果です。人を育てるには、修己治人でなければいけないのです。
人の欠点ばかりを指摘して自分を正すこと、修養することなどには目もくれないような先輩上司では、不協和音と、面従腹背の人を育てる、いわゆる、下が濁るのです。
人は失敗をしたり、誤りを犯すものです。失敗をしない人はいません。だからこそ「己を正す」ことが重要なのです。自分自身が誤りを正すことができるような人は「清濁併せのむ人間性も養うことができます」。人の誤りを「攻めすぎない」のです。だからこそ人は親しみ、部下の方々はついてくるようになり、注意したり叱ったとしても「聞く耳を持つようになる」のです。一時的に濁ったとしても、修正すれば清められます。やり直す、それが人の素晴らしさでもあります。
上に立つ者は率先して、修養するというお手本を示さなければなりません。これが人として、社会人としての原点でなければいけません。
お手本となることを目標としなければ、リーダー的立場に立てないのが、歴史から学べます。
リーダーになるならない云々ではなく、人として自身の修養を怠らずにやらなければと自反する3日間でした。今日からお勤めの皆さん戊戌年は「内憂外患(ないゆうがいかん)がさらに紛糾する年となります」。身を正す一年として下さい。良い一日をお過ごし下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
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☆一昨日のお護摩です、炎の中に御仏を観じて下さい。皆様の祈り愛から現れた御仏です。