物事に対する自分の態度

おはようございます。

昨日は新社会人の皆様、入社おめでとうございます。皆様に大いなる社会貢献をいただきますことを願っております。
長い人生、「悲喜交々(ひきこもごも)」、人生は喜び、悲しみ両極で道を踏み外す危険性があります。
人として「どうあるべきか」が私たちは「知識以上に大事」です。何故かと言いますと、人は、喜びに出会ったとき、悲しみに出会ったときの「心の動向で未来の人生を左右するからです」。誰しも、喜び多い、悲しみの少ない人生を願っていることでしょう。しかし、「悲喜交々」が人生「喜怒哀楽(きどあいらく)」が人生。
このように書きますと、では何のために勉強するの、という質問、声が当然のこととして聞こえてきそうです。知識はあくまでも、仕事をする上でのことで必要。物を作る知識、パソコンの操作一つ、事務や計算の仕事を進める知識等々です。
実際、仕事そのもので人生を悩み苦しむ人は多くはないのです。では何で苦しみ悩むか、影響されるのかといいますと「物事に対する自分の態度、心」です。
物事に対する正しい態度・心が「どうあるべきか」です。冷静に落ちついて、しっかりと地に足をつけて見定めることであり、「一時的な感情で喜んだり悲しんだりしないことです」。
喜ぶことがあったから、誉められたからと傲慢、慢心せず、悲しくても気を落とさない。感情を抑えコントロールし、「平常心を保つ」ように心がけることです。何ごとも限度がある事を知ることです。「知、不知。できる、できないがあり。遅速がある」ことを知らなければ、極端から極端に走ってしまうのです。好き、嫌い、できる、できないというが如くです。
「自由な人間性の追求と身勝手な言動との違いは、考え方がほんの少し異なるにすぎない」のです。自由な人間性とは何か?と考えることが人生一番の喜びかも知れません。経を読み、心学の書を学び、己の心を考える、それが人間としての一番の喜びだと私は思っています。
よく、物事にぶつかり、そんなこと知らんと、逃げる人がいます、分からないことにぶつかれば、分かるようになりたいと思うのが人間の喜びでもあるのです。
社会人となり、会社に入れば、「先ず自由はありません」「ルールがあり、責任があります」。「現実の物事にどのような態度をとるか」「心をどのようにコントロールするかです」。この事実に気づかず知らずでは「知識をいくらインプットしてもアウトプットできず、エンストを起こすのです」。
怒りや不安も度が過ぎますと、他人を傷つけたり、自分を傷つけたりしてしまいかねません。「楽あれば苦あり」、享楽的な生活を追い求めますと堕落してしまうか、少なくとも生活に悪影響が出て来ます。度を超した喜怒哀楽の感情は心身を害してしまうのです。
人生には不測の事態がつきものです。禍福はいつくるか予測できるものではありませんが、どちらが来るにしても、「どのような態度を取るか」を確かにしておくことだと私は思っています。
皆さん何が幸で何が不幸ですか、私は物事に対する態度を確かにしていないときは、「自分に嫌な事が来たとき不幸であり」「自分が楽しいと思うことがあれば幸だと思っていました」。
これを「身勝手というのだと道理を知って気づきました」。だから自然人の眼を気にして覇気がなくなる。
ポストにベストの覚悟ができてからは表面的なことに心惑わされることが少なくなり、現実にしっかり対処できるようになったようです。ポストにベストを尽くしますと「自分に合った仕事や、地位はその結果についてくると覚悟ができるのも良い」。私の平常心は「ポストにベスト」です。
人生悲喜交々、どのような事態が生じたとしても、楽しめる自分を作りましょう、周囲の環境は変えられませんが、自分は変えることができます。不思議なもので、「より大きな幸運のチャンスは辛苦と思える現象を通してやってくるのです」。「堕落の神は楽を欲したときにやってくるのです」。
今日から新人の皆様が240名入山されます。二泊三日、ご自身がどのような心を味わい、自分を見失わないために「どうあるべきか」を考えていただければと思っています。
お気を付けて入山下さい。皆様も新しい風が入り心爽やかに迎えて下さい。良い一日を。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
「仕事運が良くなる」日々の実践徳目:慈悲の心を持つ(思いやりは勇気)・質素倹約(物心両面のゆとり)・謙虚な心(争いを生まない)・一隅を照らす(ポストにベスト)。 合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
※心華寺で一泊、プチ修行をして心身のリフレッシュをしませんか?いつでもお待ちしております。坐禅、読経、水行、写経、作務、食事作法、非日常体験で、新しい自分発見を。