反対も知る

おはようございます。

 地震は未だ収まりません。一日も早い収束を祈ります。一時避難の皆様お見舞い申し上げます。お疲れのことでありましょう。
 理論的には私たちは文明文化が発達すれば人類は幸福になり豊かになると信じて学び歩んで来ました。言葉を換えますと、争いや、戦争、貧乏という攪拌するものが無くなれば幸福が増すと考えてきました。しかし、じっくりと見まわしてみますと、どうもそうではないようにも思えます。
 反対に心が貧しくなったと感じるのは私一人ではないのでは?。
 蘇東坡(そとうば)という中国の詩人が「人間文字を知るは憂患のはじめ」といったことが何故か心を打つのは私だけではないのでは?ないでしょうか。老子も「知る者は、知らず」とも。 古代イスラエルの王、ソロモンは「知恵多ければ憤激多く、知恵を増す者はまた憂患多し」と。17世紀のオランダの哲学者スピノザ(汎神論を唱えた)は、「文明は罪業を進歩せしむ」と。
 私が言いたいことは、文化文明がいけないというのではなく、知識を得たために排他的になって苦しみを増やしているのではないかという危惧です。
 豊かになるため、他を認め知るため、調和を図る為が学問知識だと思うのですが。方法論で争っている。聖徳太子の「和を以て貴しと為す、逆らうことなきを旨とせよ」が為されていない。
 このようなことでは進化=退化であるということに気づき、真の豊かさとは何かということをもう一度改めて考えるべきではないでしょうか。豊かになるためと思って始めた学びが逆の結果をもたらしているという現実を見て無ぬ振りをしてはいけない時期に入ったのです。
 便利を願って、人間として「一番大切な思いやりをなくしてしまう」ことです。物がないことに不満を持つのではなく、無いからこそ得る喜び、工夫する楽しみを持つことに気づくことです。
 手に何かを持って新しい物を持つためには持っているものを放さなければなりません。「得れば何かを放す」という、原則を確かにして、人間性を豊かにしなければ、どんどん、貧しい心の人間性を養うだけです。
 私たちは「思う喜びを持って生まれてきました」。思う喜びは敬愛の心です。人は潜在意識、阿羅耶識の中に在る喜びに目覚めれば、生涯豊かな人生を過ごせます。人は人を思う心が一番の喜びです。
 親が子を愛するのは無条件の喜び。子が親を尊敬することも同様。その喜びのことを「天命」といいます。「仏性」といいます。そこには交換条件などないのです。打算などが入り込む余地もないのです。
 明日は下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」「祈り愛」の日です。幸いに明日は日曜日、ご家族で「思いの喜び」を実践しましょう。午前10時、お待ちしております。知って幸せになるのは祈り愛です。今日も豊かな一日をお過ごしください。 
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の扉を開けます。
☆心華寺で参籠修行をしませんか、非日常の空間に身を置き、作務(掃除)、読経、坐禅、写経、五感の対象をすべて聖典に置き、自身との対峙。新たなあなたが見えてきます。
人生は行き先を決めたとしても、道中、どのような出会いがあるかわかりません、どのような出会いがあったとしても、動じない自分を作っておきましょう。
○7月1日の「大般若経六百巻転読会法要」チャリティ寄席のチケットをお買い上げの皆様にさし上げます「お箸」、箸袋はIさん主催のアークカラーの皆さんが丹精込めて作られました。ご祈祷された「長寿箸」です。アークカラーの皆さん感謝いたします。

○一昨日の夕景。