旗印

おはようございます。

 台風12号異例な動きで被害はでませんでしたでしょうか、お見舞い申し上げます。今朝の下関は静かな朝を迎えております。
 7月も今日と明日の二日を残すばかりです。一ヶ月を確かに振りかえりたいですね。
 私は師を持っています。師は私が人生の「ゴール・目標」の「旗印」としての現実の「目標とすべき人物」。「お顔が見える目標」、これほどリアルにイメージできる目標はほかにありません。
 不遜なことを書きますが「師と自身を徹底的に比較しました」。そして考えたことは。第一に、歩んでいる道に「普遍性、原理原則を守ろうとする志、世のために尽くそうとする志の有無」です。要するに「我欲のために歩んでいないかどうか」です。道理・普遍性を「私欲に用いようとしていないかどうか」です。周りの人の動きに左右され我欲に走ることがないかどうかを見ておりました。私欲、我欲に走ろうとしているのなら軌道修正をしようと考えていました。
 私は「一隅を照らす。ポストにベスト」という普遍の言葉、教えを知り、人生生涯の生き方と出来たからです。道は非情だからこそ、私は私に目覚めることが出来たのです。師も私の能力の無さに見捨てることがありませんでした。
 昨今の指導者、私欲、我欲で道を用いようとしているのではと感じる点が多々在ります。国の宝の子ども達が「ノーを感覚(本能・命)で示しているように感じるのは私一人でしょうか?」。何十万人も不登校、ひきこもりがいる現実です。
 そして「師との能力・実力を比較」。僧侶として人間として求められる「必須の資質」、そういった一つ一つの必須能力を比較。劣っている能力は、集中的に勉強、修練を重ねました。
 師のお陰で、今までに無かった能力の開発を多く出来、実力が身についたことが沢山あります。
 何もやらずに、あの人はすごいな、いつか、などとぼんやりと考えている限り、能力の向上などあり得ません。ましてや、嫉(ねた)んだり、やったらやれるなどと理屈にもならない学問を馬鹿にして侮っているようでは、いつまで経っても愚痴、繰り言を言う人生を送ることとなるのです。
 ゴール・目標を確かにすればこそ、「自分の劣っているところにキチンと向き合うことができるのです」。自分と向き合わないから、いつまでもぐちぐちといっている人生を送る羽目になるのだと幼少年時代の自分を振りかえり思っています。
 歴史上の賢人、現代の偉大な人も「一字」を大切に保ち自分磨きを生涯楽しく送ったのです。何故楽しくなるのでしょう、そこには「社会性、利他が在る」からです「世の中のお役に立てる」からです。私でもお役に立てることを知ったのです。
 私欲・我欲では道理は道理とはならず、不平不満しかならないことを知ったのです。
 高いゴール・目標を確かにして、身近な目標をセット、一つ一つ試練を乗り越えたときの感動は忘れがたい喜びです。小さな成功の快感を体感すれば、新たな目標を掲げたとき、達成出来ないなどという不安感などはみじんも湧いてきません。
 例えが卑近で何をバカなことをといわれるかもしれません、師匠からゴツンとされるかもしれませんが、この暑さの中、夕食の前、数時間水分を摂るのを我慢して呑むビールのうまさ、快感です?師匠ごめんなさい。このような不埒なことを考えて修行しているからいつまでも師匠の後ろ姿が見えないのかもしれません。
 しかし今夜も美味しくいただくために夕座のお勤め前から、しばし水分は我慢して、のどごしの快感を味わい今週も修養に励むことにします。一昨日、UDr.がお別れの時、和尚、坊さんに見えませんよ!との挨拶を残した言葉が甦ってきます。私もようやく、臭さがなくなったかと、ホッとしました。
 7月から8月へのバトンタッチの週を社会性を考え楽しくお過ごしください。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の幸福の扉を開けます、ノックしてください。
○明日は愛宕寺ご開山忌、先日墓の掃除に行ったときに関門海峡を行き交う貨物船を、小倉の工場群が見えます。




駐車場の柵に咲いている小さい可愛い花、名前は?です。