心を込めて

おはようございます。

 昨日は「長崎原爆の日」犠牲になられました皆々様には改めまして哀悼の意を表します。日本国民の代わりに犠牲になられたことに、残された私たちは、不戦を誓い、しっかりと道徳観念を率先し保ち行動してまいりましょう。それが人としての務めです。
 昨夜は「にんげん学」一宮講座「新・論語を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。孔子が生きたのは戦国時代だという時代背景があったからかもしれませんが、今日でもやはり「礼儀」は大切です。孔子は平和を切に願った故に仁愛、礼節の大事を説いたのです。私たちも人様と出会いますときの態度を礼儀正しく行うようにしましょう。
 人間の心は見えないようですが、言語行動、服装に出ますので、隠しようがないのです。心は必ず見抜かれます。
 昨日学びました「礼・誠意のなさは見破られる」。礼儀がない、誠意がなく口先だけではいけません。
 言葉だけで行動の伴わない大人が増えております。善を責める大人が何故多くなったのでしょう。それは、言っている人は「出来ていると錯覚をしているのです」。上に立つ人は本来なれば謙虚であるべきなのですが、いつかしらか横暴な権力者になってしまった。
 評価社会、成果社会、点数社会の悲劇であり、喜劇に近く、哀しむべき現実です。独裁者的な人間が増えてきた。そこに安易に迎合する人が増え不幸を一層生みだしている。SNS時代に考えられない現象です。愚かな誤ったポピュリズムが台頭しているように思えて仕方がありません。
 論語、泰伯(たいはく)第8、2条「子曰く、恭にして礼無ければ則ち労す。慎(しん)にして礼無ければ則ち葸(し)す。勇にして礼無ければ則ち乱す。直にして礼無ければ則ち絞(こう)す。」
 意は「いくらうわべだけ恭順なふりをしていても、礼の心が込もっていなければ意味がない。慎み深く振る舞っているようでも、やはり礼の心がなければ、紋切り型の人間だと見破られてしまう。」
 礼とは一般的には、立ち居振る舞いや儀式など形式的なものを「礼」と捉えているのではないでしょうか?。孔子は、
 「いくら形が整っていても心を込めないと「礼」として完成したとはいえない」と教えます。感謝の気持ちから行わなければ、「所作に現れ」相手に伝わらないのです。相手に伝わらないと言うことは礼がなく話している、ということを自反すべきです。
 顧客の方からクレームをいただいたときなどは、クレームをいただいてよかったと感謝の気持ちで受けるべきです。それを「謝罪もせずに」「こちらが悪くない」と思っていたら、「どんなに丁寧な言葉を述べたとしても、形通りだけのものとなってしまい、伝わりません」。あるいは「言い訳を加えたり、表情や言葉の語気に出たりして、逆に相手に誠意が伝わらず、白々しい印象を与えてしまうのです」。人の発する言葉の音というのは本音という言葉があるように、伝わるのです。
 また、周りの同僚や先輩の方々にも、「人間性を?疑われる」という「二重の印象をあたえかねません」。上の人には諂(へつら)い、下の人には威張り散らす、このような礼の心のない人は必ず後々に大きなしっぺ返しがくるのです。
 礼を尽くしたいという気持ちがあれば、それが自然と態度ににじみ出て誠意として伝わるのです。それは、「あなたがおられるから私の仕事があるという感謝の念いから出るのです」。人生何ごとも「お相伴(しょうばん)」です。
 礼節を大事にしましょう。今夜は「にんげん学」東京講座「老子を読む」、老子のTao自然も感謝を説いています。感謝の一日を過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※どのようなご相談でも承ります。0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp。相談することの勇気が未来の幸運の扉を開けます、ノックをしましょう。
○「にんげん学」一宮講座ご出席の皆さんありがとうございます。Hさん、新潟のお土産「笹団子」ありがとうございます。