情けあっての

おはようございます。

 人間は人に教えを説くほど偉くないと考えた方が良いと私は考えています。何故かと言いますと、教えを自分を通して体現すれば、上手くいくときもあれば、上手くいかないときもあるからです。
 人を教える、人に教えができるようになったと考えたときから、傲慢になり、教えた人ができなかったとき、責めたり、偉そうに言ったりするからです。自分は失敗などしないが如くの振る舞いとなる。
 あれもこれも、沢山知っている人がいっぱいいます、そして立派なことを言うお方も沢山におられます。このような人は、しんどくないんだろうか?と心配してあげたくなります。肩がこらないのだろうかと?。
 昨今の大人(年寄り)から若い人まで礼儀、公徳心が欠けている原因の一つが、指導者が「自分を棚に上げて何を偉そうに言うのだ」と社会の人びと、特に若い人たちが感じているからではないかと思うのです。
 育てよう、導こうという優しさが無い。植物でも種を蒔いたばかりの時は弱いですので、いろいろとカバーしたり、サポートしてあげなければ育たないのです。人も同じでしょう。
 皆さんは、お子さんをどのような人間として育てたいとお考えでしょうか?私は「生活力のある、思いやりのある人間となって欲しいと願っています」。
 私は「純朴であるほど楽しく生きられる」と考えています。日々の感謝の祈りも、心学を学ぶのも純朴さを失わないようにであります。「知も無知も私は五十歩百歩と考えています」。
 無知は無知なりの楽しみがあるのです。「知識が多ければ多いなりに悩みとなるのです」。私は知と同様情報は少ないほど楽しく生きられるとも考えています。
 こうやってSNSを通じていろいろな情報を見ておりますが、「へぇ〜こんなこともあるんだ」という思いでプラスすることはあったとしても、悩み苦しみの材料にしたことはありません。
 シンプルイズベスト、知識が少なければ考えることも少なく、知識が多ければ考えることも多くなるものです。考えることが少なくなれば、シンプルになり、シンプルであることで正しい道筋が良く見えてくるように思うのです。
 考えることが多ければ人生を複雑にし、簡単なことでもつい複雑に考え悩みにする、知識を得て悩んでいたのでは悲しいことです。人生は単純明快がいいのです。
 肥やしを撒いた土地の作物は良く育つ。
 川底が透き通る清流には魚は棲まない。
 君子のような人こそ、世俗を受け入れるものだ。
 そうであるから、自分だけが高潔であると思ってはならない。(菜根譚、前集76項)。
 教育に一番必要な「血も涙もある情が欠けているような気がします」。道理は非情、論理は非情、だからこそ成果主義、点数至上主義ばかりでは無く、「信じて待つ」「信じて育てる」という「情操教育が大事ではないでしょうか」「情けあっての教育」「情けあってのビジネス社会」ではないでしょうか。皆さんは、味も素っ気も無い、砂漠のような人の道をお望みですか?教育とは「血も涙もある教育であってこそ人材が人財になるのではないでしょうか?」。
 私は大いに疑問を感じています。愛情があってこそ、利他の心があってこそ素晴らしい成果の出せる人間教育ができるのだと信じています。今社会の中にクレーマーが多いように感じています。それは教育現場で、愛情も無いまま、子どもにクレームを付けた如く点数をつけ、評価している結果では無いかとも思っています。
 どこの家庭でも、企業でも「口々に、思いやりを口にします」。思いやりがあれば、率先して責任感を感じ成果を出す人間となるのです。若者が「希望の持てる国、社会であってほしい」そのためには「血も涙もある教育でしょう」「思いやりの教育でしょう」。みんなで心学を修め、思いやりある社会にしてまいりましょう。
 新しい週、シンプルに過ごしましょう。考え込むのは知りすぎですよ。素晴らしい一週間をおすごし下さい。
    
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
「仕事運が良くなる」日々の四つの実践徳目:慈悲の心を持つ(思いやりは勇気)・質素倹約(物心両面のゆとりがなければ心貧しくなる)・謙虚な心(争いを生まない)・一隅を照らす(ポストにベスト)。 合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp 相談する勇気が幸運の扉をノックします。
〇昨日の夕景。