我欲が幸運の扉を閉ざす

おはようございます。

 菜根譚(さいこんたん)にはいろいろな教訓が載ってあります。心学の書は実に面白い、何回読んでも実に面白いものです。古人の言葉に「心安らかならば粗末な家でも穏やかに暮らせる。そして、堅い菜根も美味しく感じられる」と。これが菜根譚の作者、洪自誠(こうじせい)の伝えたいこと主旨なのでしょう。「心安らかであれ」という。要は「情理のバランスを取り安からに」ということではないでしょうか。
 菜根譚、前集67に「自らの善事を知らしめない」として、
 「為(な)した悪事が知られることを恐れる者は、改心に向かう可能性を残している。
  為した善行が早く知らしめられないかと願う者は、悪意の芽を心に植えつけることになる。」
 荘子は、「羞恥(しゅうち)の心は誰の心にもある」といっています。羞恥心があるからこそ悪事に走らないのです。人間として最後の一線で踏みとどまるのです。羞恥心を持たない人間は悪いことをしても恥ずかしいと思わない。悪事に手を染めることは恥ずべき事だと知り、悪事が露見するのを恐れるのであれば、羞恥心が少し残っているのであり、大悪は行わない人間の証明でもあるのです。
 羞恥という恥こそ「真の恥であり」、「恬(てん)として恥じす(平然として恥じない)」ということです。老子にも似た言葉があります。
 「名利を求め、立身出世を願う者は、まずそれらを求めない心構えからはじめよ」。自分が立派な人間だと思わないことです。自分のことを自慢し、善人ぶっているようでは、求めていたはずの徳や名声をすでに失っているのです。
 前漢の大将軍韓信(かんしん)は(韓信の股くぐりや、背水の陣で高名になった大将軍)、若い頃には職につかず、世間からは無頼の徒として嫌われていた。以下の逸話が残されています。
 「ある日、一人の老女が韓信を見て食事をしていないことに気づき、自分の昼食を分け与えた。老女はその後も韓信に食事を与えつづけた。韓信はこの老女の行為に感激し、「いつか恩返しをしてやるからな」と言うと、老女は怒り出した。
 大の男が稼ぎもせず、メシも食えないのを不憫に思っただけじゃ、そんな者から見返りをもらうほどおちぶれておらん!」。
 この老女は善事を施しているつもりは毛頭なかったのでしょう真実の布施波羅蜜です。決して見返りを求めていない。これこそ、上徳であり、上善というべきでしょう。
 時折、この項を読み戒めとしております。皆さん、ご自分のやっておられる仕事に感謝こそすれ、何で私を認めないの?と言う心は徳を失っていることに気づいて下さい。人様から嫌われることを続けず今すぐに改めましょう。
 一宮の皆さん、中部地区の皆さん今夜の「にんげん学」一宮講座「新・論語を読む」楽しみにまいります。
    
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
☆「仕事運が良くなる」日々の四つの実践徳目:慈悲の心を持つ(思いやりは勇気)・質素倹約(物心両面のゆとりがなければ心貧しくなる)・謙虚な心(争いを生まない)・一隅を照らす(ポストにベスト)。 合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp 相談する勇気が幸運の扉をノックします。
NPOこころのはな「子ども食堂」ご来店ありがとうございます。昨日のメニューです。乳酸飲料の差し入れとお菓子の差し入れがありました。皆さんご理解ご協力ありがとうございます。子どもたちの心に愛が育つことでしょう、感謝致します。