自主性を誤るな

おはようございます。

 時習、繰り返しの重要性をくり返し書いています。時習を繰り返せるのは因果の道理を確かにして楽しいから継続できるのです。学べば変わる、という快の世界。
 自分の心が自分を最も惑わせ悩ませます。心で思い立ったことを道理に沿い、道に教えに従って行えば成功する可能性が高いのは自明の理です。しかし、教えに従う、道理に従うということが意外とできていないのが多くの人のように思われます。
 それは自主性を誤って考えているからです。従うことを自主性がないとおかしな価値観を持っているのです。道理、教えは「天理」であって、我利はなく、「道理を活用した者に力を与えるのです」。道理を人が説いているから、人に従うものだという誤りです。まったくもって愚かな話です。私も以前は、このような愚かな考えをもっていました。
 今年の字は「災」でした。天災は何如ともし難いものですが、自分の心の欲するままに、道理に従わず行えば、自らが引き起こした災いとなります。一度失敗しても、二度失敗しても懲りない、自分の心に素直になることを誤っているからです。
 学ぶことを知らない人は、失敗を重ねると、自分で失敗したことを忘れ、人への不信感、教えに不信感を持つようになるという、「周りにとって迷惑千万な勝手な人間となる」。全く以て、般若心経で説いているところの「倒転夢想(てんどうむそう)の人間となる」。
 これは「ひっくり返った考え方や、夢の中で考えているようなことを言うのである。(この転倒した見方は慣れるとあたりまえになる)。世の中にはこの転倒した生活をしている人が多いのです。子供にぺこぺこしている親、生徒の顔色をうかがっている先生、社員の機嫌を取っている社長と、数え上げればきりがありません。何をやっても無駄だとうそぶく人、等々」。
 「我転倒(がてんどう)」という病にかかっている人もいます。「俺が、俺が」という人です。なんでも俺のもの、俺の財産だと思って自分が所有者になりたがる。また俺がいなければだめだと言って主宰者になりたがる。こうして我とわが心を迷わせていることを言うのです。
 「無我転倒(むがてんどう)」という病もあります、「これはもう無気力の塊(かたまり)。どうせこの世の中のものは、何ひとつとして自分のものではないのだと考える。生きがいさえなくすことを言う」。
 自分の持って生まれた知恵だけですべてを行おうとしますと、天道に背いて「悪事となる」のです。一人で考えている知恵は「根っこのない木のようなもの」だから倒れてしまう。
 世の中を見て、社会を見て私の心は動き回っていました。そして迷っていました。しかし、あるとき、学ぶ、相談する、教えに従うという時習、くり返せば変わることを知ったのです。変わる快の世界を知ればくり返すのです。
 仏教では悟りの世界のことを「浄(じよう)・楽(らく)・我(が)・浄(じよう)」といいます。それは「常に永遠の大生命の中に安住しているから、そこに楽しみが湧く。それは本当の我というものの本体であり、そこは浄らかな平和の境地である」ということです。
 このような境地に達することができるか否かは別にして、私はこのような教えを知ったのです。だからこそ日々楽しくくり返すのです。
        
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
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