天に仕える

おはようございます。

 日々私は「奇跡」だと感動し感謝し暮らしています。そんなことを思いながら「にんげん学」神戸居酒屋講座の最終講座を終え電車に乗っておりました。知識を得て大地に種を蒔いたとしても、育てるのは大地であります。実って摘み取ることはできたとしても、その間のことはお任せするしかないのです。何から何まで自分がやっていることなどなく、一部だけをやっているに過ぎないのです。このように見ますと、いろいろな果報を受け取れることは「奇跡」としか思えず、感謝の祈りを捧げるしかないと感動するばかりです。
 ありがたい、ありがたいと感謝しながら日々祈りを捧げ歩んで来て、いろいろな人と出会うことができました、これなども、いくら考えても「奇跡」としか思えません。なぜこのような素晴らしい方々と出会えたのだろうかと、不思議でならないのです。
 私は日々ご神仏に仕え暮らしています。このことは、天に仕えることだと信じています。私の目的、ポストにベストも天に仕える気持ちです。
 人様に仕えることも、同様に天に仕えることだと考えているからです。人様に仕えますと、やはり仕事はできない人より、できる人の方が良いに決まっています。これが「人道」というものです。天道は善し悪しをいいません。遅速も問いません、しかし人道は善し悪しを問い、遅速を問うのです。
 「天は自ら助くる者を助く」、教えに従い自助努力をすることによって天の恵みも得られるとも云います。また「天網恢々疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」とも云います。天網恢々疎にして漏らさずの意は「天の網は広大で、その網の目は疎(あら)く大きいが、善意の応報は必ず下して見逃すことはない」ということです。芥川龍之介作の「蜘蛛の糸」で、泥棒の「カンダタ」の一度の善行の話があります。
 一文を紹介します。「カンダタは、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥棒ですが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這って行くのが見えました。そこでカンダタは早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」
 という話です。これをご覧になっていたお釈迦様が「血の池地獄に落ちたカンダタ蜘蛛の糸を一本降ろして助けようとした」話です。しかし、自分一人の事しか考えない我欲、強欲の強いカンダタは「絶対切れない蜘蛛の糸が、切れるだろうと考え、自分の後に従って上ってきた罪人を足蹴にして落とした途端、自分の上から蜘蛛の糸が切れて地獄へ戻った」という話です。
 天網恢々疎にして漏らさずの言葉、蜘蛛の糸の話に、ポストにベスト同様私は意を強くしました。誰と比較しても比べようのない愚鈍な私のような者も「天は見捨てないのだ」と。
 もし、人を相手にして、愚かな競争心を持てば、どこから見ても人様に勝るものなど持ち合わせていない私です。また「利害の対立もあれば、いろいろな感情に行き違いなどもあり、人間感情が仇となることも少なくありません」。教えに気づき目覚めることがなければ、悲観する人生の日々であったことでしょう。
 競争する生き方、対抗する生き方ではなく、天に仕える気持ちで人生に対するようにしようと、今日まで来ています。このように歩んで来ましたら、天の采配、計らいでありましょう。疎にして漏らさず、私にとって過ぎた皆様との出会いをいただきました。これを「奇跡と呼ばずにしてなにを奇跡というのでしょう?」。 
 今日もこれから朝護摩を修し、一日天にお仕えする心で皆様とお出会いします。
        
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
☆「仕事運が良くなる」日々の四つの実践徳目:慈悲の心を持つ(思いやりは勇気)・質素倹約(物心両面のゆとりがなければ心貧しくなる)・謙虚な心(争いを生まない)・一隅を照らす(ポストにベスト)。 合掌
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