得たい得たいを捨てる

おはようございます。

 「にんげん学」東京初講座「老子を読む」ご出席の師友の皆さんありがとうございます。初講座でお目にかかれることは、素直に嬉しく思います。
 昨日学びました老子25章、「人は地に法(のつと)り、地は天に法り、天は道に法る」。まさしくこのようにあれば、ゆったりと幸せに日々暮らせます。しかし、今年初めて東京へ行く、にんげん学講座へ向かうとなったとたん、無為ではなく作為な心の生じることも事実です。が、しかし、あまりにも自我を強くしてしまいますとやはり、押しつけになったり、正しい事が逆に悪に作用し用心すべきです。
 だからこそ、昨日学びました25章の教えに「法(のっと)る」ことが大事となります。いわゆる道に従い歩む。道(大地)は道です、道は無為。種を蒔かれれば育て、花を咲かせ、実を実らせ、枯れる。そして冬来たりなば春遠からじと循環する、これが自然、Tao道であります。
 私たちは、何を得たか、何があるか、何をしてもらったか、そうした事が幸せだと思っています。老子の目からみれば、そもそもそうした観念そのものが、「幸せを失った心の結果である」と教えます。このようなおねだりの人間では何年かかっても生きがいも幸せも、感謝の思いも感じることができず、悲しい人生と化すでしょう。
 幸せを失った心であるがゆえに、形ある結果をその代償として、追い求める、だからどんなに求めても、ゴールというものがない。満足を知ることが出来ない、与えることの喜び利他を知らない人生ほど虚しいものはありません。
 求めている本質に気づくまでは、永遠に求め続ける虚しい人生です。人に求めるだけで、どんなに物にあふれても、どんなに成功や権力を得ても、満足できず、貪る餓鬼のようであり、そのような人の魂はどこかむなしさを感じ続けるのです。
 私たちには、最初から、生まれついたときから、必要なものは、はじめから与えられているのです。音を聞く喜び、それを奏でる喜び、学べば知ることが出来る喜び、習えば技術が習得できる喜び、悦びは満ちあふれているのです。
 その素晴らしさに気づかず、得たい得たいばかりの心にとらわれたとき不安、恐怖、闘争しか生まれないのです。これは人としてとても悲しいことです。
 法る心に目覚め歩み、快に生きる時、天の導きが始まり、豊かで愉しい人生と化すのです。師友の皆さん来月もご一緒に豊かな自分を歩みましょう。2月8日(金)です。
 今日は「法る」ことを大切にお過ごしください。
 今日から一泊二日、心華寺では「M&Uスクール」が本年初開校です。受講生の皆さんお気を付けて入山ください。お待ちしております。
 
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。 合掌
※運命開運相談。辯財天秘法姓名判断。家相、地相の相談等々ご相談ください。0774-44-5380。mail:bonsan01@wao.or.jp。相談したときから主体性のある本物の人生が始まります。
✩東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。


ご出席の大学生Yさんから「子ども食堂」へとご寄付をいただきました。Yさん、ありがとうございます。