先んずる

おはようございます。

「にんげん学」東京初講座ご出席の皆さんありがとうございます。一宮然り、東京も然り、皆さんがご自身で率先してご出席くださる姿勢に感動いたします。
ご案内を差し上げましても出欠を問わないのが私の在り方です。学びは人様から勧められて行う場合もありますが、「にんげん学」はそのようなものではないと考えます。自ずから使命感を持ち、修己治人(己を修めて人を治める)の学が必要だと自覚して下された方の学びだと考えるからです。率先垂範するような人間でない限り人様は随うはずはないのです。
一生をどのように生きるかです。大凡、道、学問というのは「人の為になる」ものです。それを身につけて日々修練し、働けば自ずと「仕事」も、活躍する「場」も与えられるものとなっているのが「道、学問」であるからです。日々主体性なく、学びも修練もせずではどんなに欲で豊かになりたいと考えてもそうは問屋が卸さないのです。
昨日は八幡浜の一生園のOさんが参加いただきました。偶然にも埼玉にお仕事で来ておられ、夕方お仕事を終えてのご出席ありがたいことです。
「先んずる」。
いつも申しますが、勉強するとは知識することではなく、実践することです。どういうことかと申しますと、いくら知識を蓄えたとしても実践がなければ何の役にも立てないのが道理だからです。
新年も三分の一を過ぎました。どんなに勉強を知っていても、努力を知ったとしても、倹約を知っていたとしても、月末や年の暮れに、差し支えるようでは、学びも、努力も、倹約も真に行っていないのです。
こんな言葉があります「先んずれば人を制し、おくれれば人に制せられる」。このようになり、おくれれば無益であるのです。何事も先んじなければ用を為さず、知っていたとしても行動をしない、それは知っているとは言いません。学べば翌日から主体性を持つようになり、指示待ちなどしないのです。また率先して行動するようになるのです。
私たちは生活を良くするために売り上げを上げよう、業績を上げようと考えます。これはこれで結構なことです。しかし豊かに暮らすにはこのような在り方では豊かな生活、経営などはできようはずもないのです。
50万円の収入があったとして40万円に減るとします、その時始めて倹約をして40万円で暮らそうとするのです。しかし真の倹約をしていませんから、このような人は足りなくなった10万円を借金するのです。そうしてまた30万円と減って、自分では努力していると考えてはいるのですが、益のない努力であることを知らないのです。
年々こうしていきますから、苦労しながら効果がなく、ついに滅亡という当然の結果が出るのです。こうなる人は必ず「不運だ」と嘆くのです。このような事を不運というのではありません。
ただたんに勉強すれば運が開ける、努力すれば出世できるという安易な考え、人様のお役に立つ、社会のお役に立つという意識が頭の中になく、我欲だけだったのです。
勉強とは、修練とは「人の為になるものだ」という学問修練の指し示す方向を見誤っていたからです。
正しい思いを行い先んずれば制せられるなどということは起こりうるはずがないのです。寺の生活は朝に粥、昼も晩も一汁一菜、寺に必要な物はお金ができたら購い、見栄や飾るために買うなどということはしないのです。我欲のために人様からいただいたお布施を使うなどはもってのほかです。お布施は寺、ご本尊様のために生かしてこそなのです。
安易な売り上げ目標を立てる前に、確かな学び、修練をすることが様々な工夫を生み出すのです。真の節約、倹約をするようになるのです。動中の工夫に勝るものはありません。人様のために行動しそこで感じるからこそ真実、学び、修練の必要性、大事を知るのです。得ることを考える前に学び実践することを先にし、制せられることのない一年としましょう。
今年も率先して「にんげん学」講座にご出席ください。明日は「にんげん学」京都、大阪初講座です。午後2時からです、全国の皆さん「新春特別講座」です。京都、大阪地区だけと限定しておりません、心華寺でお待ちしております。

今日も素晴らしい一日でありますようお祈り致します。
世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
写真は新年の懇親会、巣鴨にあります「スクアールビストロ」さんの年に一度の素晴らしい料理です。「にんげん学」東京講座をお世話くださいますNさんのご親戚のお店です。
海の幸のサラダ、イカシャンピニオンプロバンス風、肉のテリーヌと魚ときのこのテリーヌ、魚料理(鯛、ホタテ、海老のポワレ・ブルーブランソース)、肉料理(和牛のストロガニフ)、デザート、コーヒーという美味しい料理でした。マスターごちそうさまでした。