天理自然

おはようございます。

今日は心華寺、幼稚園、保育園、文化教室、グループ挙げての秋の大祭、心華みのり大祭「採燈大護摩法要」です。実りの秋を迎えられたことは天地自然の循環が確かに巡っていただいたからこそです。四季の循環がストップすれば全て終焉を迎えます。私たちは自然に抱かれ生かされているのです。
春夏秋冬、季節が確かに巡って下されたからこそ実りの秋、恵みをいただくことができたことへの感謝の祈りです。
四季折々に感謝する、日々に感謝する、自然を神格化し対象を確かにして感謝の意を捧げる、先人の自然に対する素直で賢明な心が祭りという形に凝縮されたのです。以前は「新嘗祭・にいなめさい」と言って感謝しました。
この世は当たり前は何一つありません、当たり前の反対語は「ありがとう」「有り難し」「有ることが難しい」ということです。
この「ありがたい」「お陰様」の心を確かにすることが次への大きな飛躍のステップとなります。何故か?先日書きましたように、「心は陽」だからです。感謝の気持ちをどのように表すか、行動を確かにしていればこそ日々為すべき事、週に為すべき事、月に為すべき事、四季折々に為すべき事が見えてくるのです。それが「歳時記」「行事」として伝えられたのです。陰を陽に転ずる、実りとできるのです。
天理自然の道に従い生きているのが動植物です。鳥も獣も雨が降れば雨に打たれ、日照りにもさらされ、食物があれば食べ、無ければ食べられないのが動植物です。
私たちが天理自然に生きていくとはいっても人為的なことです。住居を作り、雨露をしのぎ、日照りから守り、田畑で天が与えて下された物を栽培し、果実をいただく、衣服を作って寒暑を防ぐ。四時ともにご飯を食べる、これは自然の営みではありません、作為、人為の道です。
自然の道は悠久で廃れません。しかし人為、作為の道は感謝無く、怠れば廃れ全てを失います。
感謝が無いにもかかわらず、天理自然の道と錯覚し、誤った考えとも知らず、願うことが叶わず、思うことがかなわければ、怒るという愚を犯し、貧しい暮らしと為ってしまうのです。
科学も法則が確かでなければ何一つ物を作ることが叶わないのです。自然の法則に逆らえる物はこの宇宙に何一つ存在し得ないのです。
二宮尊徳翁は「誠は天の道なり これを誠とするは 人の道なり」と。天は何人をも好き嫌いせずえこひいきもせず、誠を尽くします。天の無為自然を知り、人の道として四季折々に感謝し怠けることなく謙虚に働くことだというのです。豊かな大地に草木は茂り、肥料の行き届いている田畑には米麦も実ります。
人の心も豊かに学ぶ心がなければ、何一つ育たないのです。豊かな心とは感謝の心、感謝の心とは、天地自然から教えていただいた「人の道としての恩返しの行動です」。
今朝は昨夜からの雨がまだ降っています、これも自然、私的にもおまいりの皆さんのためにも雨は上がってほしいのですが、この思いは人為、我です。どのような中でも祈るのが人の道の誠です。
我が陽の心を「護摩木として、護摩木に託し感謝の意を捧げる」そして陰の行動「護摩法要を行い」現実に感謝し、本年の感謝と、来る年への実りを確かにイメージし、行動を確かにしますという「誓いの祈りでもあるのです」。
午前10時からです。心が確かでなければ行動はできません。あたかも今日は勤労感謝の日です。感謝の心を確かにして祈りの行動をいたしましょう。お待ちしております。今日一日の皆様の幸せを採燈大護摩法要にてお祈り致します。
今日は同時に「東日本大震災復興支援チャリティバザー」を開催します。まだまだ復興半ばです。皆様の温かいご支援ご協力をお願い致します。お待ちしております。
明日は24日ですので下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時から厳修いたします、おまいりください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
※どのようなことでもご相談下さい。電話:0774-44-5380。メールbonsan01@wao.or.jp
※心華寺で一泊、プチ修行をして心身のリフレッシュをしませんか?いつでもお待ちしております。坐禅、読経、水行、写経、作務、食事作法、非日常体験で、新しい自分発見。
20日愛媛県八幡浜市の日本一ミカン農家「一生園」のOさんから写真が送られてきました。心華寺の木から摘果作業を今年も始めます、ということです。心華寺に奉納くださるミカンの木から摘果を始められる、ありがたく、そして信心の厚さがあるからこそ日本一の味が出るのではないでしょうか。今年も皆さんの所へ素晴らしいおミカンとジュースをお届け下さい。Oさんありがとうございます。



奥様毎年ありがとうございます。