名分

おはようございます。

今朝は昨日の朝より寒さがゆるんでいるようです、昨日は冬日護摩の炎が冴えていました。今朝も皆様の添え護摩木が冴えて燃え上がり心願が叶うでありましょう。
昨日は病院へ定期検診、お陰様で順調です。スッキリした気持ちで愛宕寺で22日から24日までの「八千枚護摩供・断食断水行」に入ることが出来ます。
一病息災、自身の短所欠点を知ることは大事です。知ることによって対策がとれて、そのことが良い物を生み出すことにもなります。一病息災とはよく言ったものです。
欠点が在ることが悪いのではなく、欠点を認めないことが悪い事へつながって行くのです。それは対策を講じないから起きるものであって、対策を取れば良い方向へ向くのですから、欠点様々と言うべきでしょう。
「名分(めいぶん)」。
私たちには一人一人名前がついています。これを「名分(めいぶん)」といいます。名前や地位名があることによって「存在価値が明確になる」、故に名分といいます。
他の人と「明らかな違いを表すのが名分」とも言えます。「私が私である」ことが出来るのも「名」によってであります、このことは誰でも同じです。ですから「名は大事」なのです、また「大事にしなければいけません」。「名を惜しむ」べきです。
名のあることによって「分が立つ」からです。いわゆる己の「価値を現すことが出来る」、「役割、能力を現せる」のです。
人生、十把一絡げではどうしようもありませんし、誰しも自分の存在価値、存在感を認めて欲しいと願っているはずです。
また上のようなことを理解しておらずとも人様は「分を見ている」のです。どのような能力があるのか、どのようなことが出来るのか、人柄は?等々です。
名のあることによって一人一人の「違いを見ている」のです。
ですから自分の名を高からしめる、価値を高めるためにも「名を大事にし、分を磨き」己の名分を辱めないようにしなければならないのです。
だれしも「オイとか、お前とか呼ばれたくはないでしょう」、呼ばれるのであれば「何々さん」とハッキリ名指しをしていただき、指名を受けて役割、使命を受けたいものです。
名を大事にするということはとても大事なのです。死んでからでも名は残るのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌