煩悩を焼尽

おはようございます。

昨日の読売新聞朝刊一面「編集手帳」に面白いこと(寒いこと)が書いてありましたので紹介します。「同音異義語は、「笑い」の発生装置である。パソコンに「正解はお金です」と入力したら画面には「政界はお金です」。以前、漢字変換ミスコンテストで見かけた作品にある。云々」というものです。思わず手を打って笑ってしまいましたが、笑えない現実に寒気を感じました。
今日お昼から「八千枚護摩供」を24日まで厳修します。護摩法の第一義は「煩悩を焼尽する」です。
煩悩とは「悟りの実現を妨げる私たち人間の精神作用のすべてを指していいます。私たち人間の生存に直結する多くの欲望は身体や心を悩まし、かき乱し、煩(わずら)わせます。その根元は我欲・我執(がしゅう)であり、生命力そのものに根ざしています。貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、愚かさがその根本です。派生して多くの煩悩、悩みが数えられます。これらは悟り(心の平和・安泰)の実現に障害となるのです。」。これが煩悩の正体。
眼・耳・鼻・舌・身・意で外界を感じ取った物をただただ貪り、己で苦しみを生み出す愚かさが煩悩。
ですから、護摩を修し、修道の過程で煩悩を焼尽し滅ぼし大願を成就させる法が護摩法です。煩悩は「生命力・本能に直結しています」、ですから「否定できません」「無くなりもしません」。だからこそ、「確かに悟り安泰の跳躍台(ちょうやくだい)として、生命力を生かすのが護摩法」です。
「在るもの具わっているものを生かさない手は無い」のです。「水をせき止めて水の勢いを増すことと同様」、生命力のパワーを正しく生かすためにどのような法に従えばいいのかということです。それは「無我・無心になること」です。
個人の生命力は「個の安泰だけを願う、それが我です」。我の安泰を願えば「争いを生むだけ」です。それを解決するには「無我にする。無我になること」です。無我にする、無我になるとは「他、他人様を思う慈悲がポイント(先ず身近な家族の幸せを願う)」です。己一人だけのことを考えないことで「無我になれる」。「人様の願いを我が願いとする。人様の苦しみを我が苦しみとする慈悲行・自他不二(じたふに)の行」が護摩法。
その慈悲行が「添え護摩祈願・八千枚護摩供の法」「自他不二の行が八千枚護摩供」です。祈る行者は「真の生命力を発揮するため断食・断水にて潜在力を矯(た)め生命力を高め護摩を修し、没我となり火生三昧(かしょうさんまい)に入り全身全霊を込め、入我我入観(にゅうががにゅうかん。ご本尊と一体となる法)にて祈ります」。生きるため最も必要である「食と水を断ち、我欲、貪りを断ち他に生かされていることに感謝をし祈る自他不二の行です」。行とは教えを実践することです。
煩悩は我欲を正しいと考えていることから行動し、悩み苦しみを作り出していることに気づかないから煩悩です。我欲は「他との利害で衝突を生み、事の実現が上手くいかず、煩悩を大きくするだけなのです」。己の心が煩いを招いていることに気づかないからこそ煩悩なのです。
護摩法を修するのは生命力を正しく発揮させるための法に従い、大願成就する法です。それは「共生の歓喜」「人の喜びを我が喜びとする歓喜」です。添え護摩を実行しましょう。
是非一年のお礼と感謝の護摩供におまいりください。今日午後2時よりの一座を勤め入行します。明日は午前9時、午後1時、3時の三座厳修、明後日満願の24日は午前10時から厳修です。お礼と感謝の祈りができてこそ「無我となり、大願が成就します」。お待ちしております。今朝は天意でしょうか?雨が落ちていて断水にはありがたいことです。
迷い、苦しみは自分の生命力が生み出しています。自分自身の我で翻弄される人生を選ぶのか、それとも、具わっている偉大な生命力を法に従って最大に発揮させ、豊かに安心の繁栄の道を歩むのかは、自身の選択にかかっています。
繁栄の道を歩みたいと真実願っておられる皆さん是非おまいりください。「修せずんば現れず、行ぜずんば得られず」。お待ちしております。今日も素晴らしい一日でありますようお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」「鳥取地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
☆お花がお待ちしております。


皆様から寄せられました添え護摩木です。心して祈ります。おまいりください。


昨日は冬至でしたので「ゆず風呂」に入りました。24日行が終えるまで入れませんのでゆっくりと温まりました、香りが良いので、気持ちまでゆったりしました。