虚飾を捨てる

おはようございます。

「にんげん学」小倉本年最終講座「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。一年の最後にお目にかかれたことはやはり嬉しい。人の情愛を大切にしなければと改めて皆様に教えていただきました。良いお年をという挨拶を交わすことがいいですね。一期一会、しっかりと焼き付けました。
情も「過ぎたるは及ばざるがごとし」とならないための話が昨日の「老子52章」。「欲を避(さ)ければ、災(わざわ)いは降りかからない」。情欲という言葉もあります。心学は読む度に「警鐘として響きます」。
老子52章、「この世にあるものすべてに始まりがあり、それは万物の母から生まれます。万物の母を知れば、この世のことを知ることができます。この世のことがわかれば、母の立場からこの世の危険から遠ざかることができます。そうなれば、この世は永遠に続きます。
また、欲の生じる目や口をふさぎ、欲が入り込む心の門を閉(と)じることで、一生、危険な目に遭(あ)うことはありません。しかし、欲の門を開き、欲のまま外の刺激を追い求めていたら、一生、安らかな日が訪れません。
こうした目や耳で捉(とら)えられないごく小さな物事を見通すことを明智(めいち)といい、欲をかわす柔弱な態度でいることを真の強さといいます。
「道」のはたらきに従い明智に立ち戻れるならば、わが身に災いが降りかかることはなくなります。これを永遠不変の道に従うといいます。」。
何度も読み返し味わってください。読み返しますとジワッと理解できます。私たちの五官の扉は開かれていてオープン状態。何も考えず開け放たれた五官の満足を願い惑わされる人生とするな、と老子は警告。五官は自分の満足を願うものではなく、「他者の足りない所を補うためにあるのだと教えます」「共存共栄」。そこに気づくのが「明智」だと。そして「欲をかわす柔弱な態度でいることを真の強さという」。これにはドキッとしました。
弱いから見抜かれないため「見栄を張り、背伸びしてこらえきれずに倒れる愚を犯すすな」。「真の弱者=強者」は「生まれついたものを大事にして見栄を張らず、人とは競争しない」ものだといいます。敗れるための愚かな挑戦をしないのが真の弱者であり、真の強者であると。
老子は「人の目ばかり気にして生きるのは、もうやめよ。楽しいことを見逃すばかりだ。もっと自分を大切にしなさい」と言っています。
欲の生じる、目、鼻、耳、口七つの穴に惑わされない。つまり、「虚飾を捨てて、自然とともにゆったり生きる」ことです。「命を削(けず)りながら欲望を満たすという愚行」をやめよ、と。
命が喜ぶことは何か。それは、自然と共に生きることです。イメージとしては、四季の移ろいを感じながら楽しみ、それを生きがいとすることです。仕事にばかり汲々(きゅうきゅう)としていては、命が真に悦(よろこ)びを感じないのです。
時には自然に親しみ、「月や花を見て、ああ、きれいだなぁ」と感動のひとときを味わってはいかがでしょう。このようなことを味わいますと、逆に「心に生きる意欲が別の意味で満ちてきて、仕事にも善い影響を及ぼします」。
虚飾に縛られることなく、自分が本当にやりたいことにエネルギーを注げるようになるのです。今年も残りわずか、冬の寒さを楽しく味わいましょう、老子は冬枯れの時節こそ自然の真の姿だと教えます「冬来たりなば春遠からじ」。心に豊かなイメージを持ち目の前に無心にポストにベストを尽くすことこそ幸せなのです。
今夜は「にんげん学」神戸講座「論語を読む」本年最終講座です。皆様とお目にかかりますこと楽しみにまいります。今日も素晴らしい一日でありますよう。 

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
☆「にんげん学」小倉最終講座ご出席の皆さんありがとうございます。お元気に良いお年をお迎えください。Mさん一年お世話ありがとうございます。毎月きれいなお花を添えていただき感謝いたします。昨日は「ラナンキュラスとスイトピー」でした。


懇親会も盛り上がり楽しく一年を終えることができました。