身を捨てる

おはようございます。

お暑い中、愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」お参りありがとうございました。お勤めを終えて衣の外まで汗でぐっしょり、よくぞこれほど汗が出るものだと感心します。
お参りの皆さんも汗だくでお祈り下さり嬉しく思います。厳しい中でのお祈りこそ真の心が現れます、その心にご利益があるのです。
何か困難や苦しいことがあったとき、どうすることも出来ないにもかかわらず「ジタバタ」するものです。いわゆる「心が落ち着かない」状態が生じる。このようなときこそ「静かに祈る」ことが「問題解決を計る」のです。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。
こんな筈ではなかった、何でこんなことに、という気持ちになることは一生の中にはあるものです。だからこそ人間は言われるところの「覚悟」が大事です。なぜ覚悟が大事かと言いますと、事を為せば結果は二つ想定されます。一つは上手く行く、二つは上手く行かない、この二つです。
上手く行ったときはいいですが、上手く行かなかったときの事後処理が後の「人間形成、信頼」には大事です。時に「結果責任を負う覚悟」を最初から持っていることです、逃げをうたない。
結果が思うように行かなかった時に「狼狽えない」、全てを「受け止める」。それが覚悟です、そうすることで被害を大きくせず信頼を失うことを最小限に止めるのです。
ジタバタして何とかしようと、いろいろな人に声をかければ己の覚悟の無さ、能力の無さを広め、自分で自分を貶めるだけの結果を招き信用を失い、再起が遠のくだけとなるのです。
大きな問題が生じた場合、ジタバタせず静かに祈る。どのような非難や批判があったとしても、その言葉を「しっかりと受け止め」、「受けた言葉を吟味反省する」ことで再起に「何が必要なのか、何が足りなかったのかが見えてくる」のです。
人の言葉は「客観的であり、信憑性があり、正しさを衝いている」のです。この素晴らしい機会を心が騒いでおったのでは何一つ受け止められず、周囲の人柄も見えてこず、せっかくのチャンスを逃してしまうのです。
失敗するには失敗するだけの理由があるのです。ジタバタして静かに反省できなければ「浮かぶ瀬はない」のです。
良いときには人は本当のことはなかなか言ってはくれないもので、少し落ちぶれたり、失敗をしたりして初めて人は本音を言うのです。だからこそこのようなときに心静かに「人の声に耳を傾ける器量が必要」です。そして器量を大きくすることも出来るのです。人の本音などはなかなかに聞くことはできません。
法に従うことが「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」であることを知るべきです。身を捨てるということは「お任せ」なのです。こういう生き方こそ「真の信頼」であるのです、生き様は自分が選択することであるのです。
明晩は「にんげん学」小倉講座、九州地区の皆さん会場でお待ちいたしております。心身共に暑気払いをしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌