理解を超える学び

おはようございます。

夏休みでお盆前の土曜日、昨日は朝から東京駅は混雑、チビちゃん達の歓声が響き思わず微笑みながら宇治へ帰ってきました。
寺も「少年少女親子塾」で賑やかです。今回は親御さんの参加はありませんが元気な8名の子供達、塾へ出してくだされた親御さんに感謝しております。
「理解を超える学び」。
今回に限らず毎年のことですが、塾の基本カリキュラムは「素読・音読」にあります。論語素読・音読、ただ読むだけです。解説は一切致しません。もちろん素読時間以外の時は「人として、人間として」の在り方はお話しします。
良い音楽を聞きますと魂が清まり、洗われるように、真実の言葉はその音を聞くだけでやはり心が清められ、洗われるのです。
私たちは清らかな世界と、ごみごみとした世界のどちらを無意識に好むでしょうか。当然の如く清らかな世界です。それと同じように幼少時の真っ白な白紙の状態の時に、美しい言葉を耳にしておりますと、自然美しい韻のある言葉を好むようになるのです。そして身体も自然落ち着いてくるのです、それは外の世界の物事を憶えるのではなく、内なる心に訴えているからです。
このことが近い未来にリーダーとなったとき、どのような社会を目指すべきかの指標になるのです。調和のとれた美しい社会作りを自ずと使命と為し、自らが率先して調和を為すように人と接し無理なくリードしていくようにと願ってのことです。
自分という窓枠から眺める社会観、世界観だけではやがては行き詰まるのが人生。様々な価値観を持つ社会の中にあって私たちは誰しも和合を望んでいるはずです。その和合は「矛盾を越えて率先して調和しようとする気概から生まれる」のです。
理解を超えた学び、身近では掃除、友達への対応(おもいやり)、後片付け等々の生活です。自分のことだけやっていれば事が済む、というような世界観を持つ前に、一見雑事と思われる二泊三日の生活の中で少年、少女達が率先して「人が人のために尽くし和合することを」意味を解さなくとも体験して欲しいと願っているのです。
自分だけのことを考えるような人間性であれば早晩悩むしなかい人生が待っているからです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。               合掌