五穀断ち

おはようございます。

私は東北山形生まれだからかもしれませんが、納豆が大好きで毎日食べます。子どもの頃醤油をいっぱいかけた納豆を食べ腎臓を患ったくらい納豆好き。
温かいご飯にかけて食べるのも好きですが、そのまま般若湯の肴として食べることも好きです。カツオ節をかけたり、モヤシと混ぜたり、ほうれん草と混ぜたりと、味噌汁に入れても好き、とにかく好きなのです。
生卵の黄身と納豆を混ぜてご飯にかけて食べるのが又たまらなく美味しい。私だけでしょうねきっと。力がつくぞ〜という感じ、煩悩だ。
「五穀断ち」。
今、誠澄は五穀断ち、塩断ちをしています。穀物という穀物は一切食べない、そば粉と野菜、果物だけ、そして味つけもせずに食べています。食物の命をいただく、食物そのものの味をいただくのです。そうすることで祈願者の祈願をしますと、命そのものが感じられ、祈祷のパワーを命そのものに真っ直ぐに注入できるのです。
味をつけて食べますと食欲という欲が増し、欲が大きく左右し、真実の命が見えなくなるのです。これは食べ物にかかわらず、人生すべからく欲で病み、欲で目が眩み、耳が聞こえなくなり、欲で偏ってしまうのです。
欲というものは何も悪い事ではありませんが、欲に侵されてしまうことがよろしくない、往々にして知らず知らず欲に侵されるのが私たちでもあります。
心が外に奪われてしまったり、縛られてはよろしくありませんので、一年の中で、一ヶ月の中で、一週間の中で、一日の中で、取り戻すことを行じる、それが修行です。教えを受けたら体で体現することが修行。
私たちはの修行は到達するために行っているのではなく、ある境地に到達したら、そこに止まらないようにするのが行であり、知り、到達し慢心しないために修行は大事となるのです。未来は常に新しい世界が待っています、新しい世界に確かな対応をするためにも真実を見聞きし判断しなければいけません。
何事のつまずきも欲が元です。これくらいなら、という思いが已の慢心。また、これくらいならとも思わず、自分は迷わない、間違えない大丈夫だとも考えないことも已の欲の世界に迷いこんでいるのです。
誠澄は今、命を保つため必要最小限の食物で無欲の世界で行じています。心身が澄明になっている今、皆様方からの願いが真っ直ぐに叶うはずです。どうぞご祈願下さい。今朝も冷たい雨の中歩いています、我が弟子ながらご苦労なことです。
今夜は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」、老子の無用の用も無欲の世界、会場でお待ちしております。今日は無心に目の前の事に取り組んでみましょう。心身共に爽やかに過ごせますよ。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。