自分で限界を作らない

おはようございます。

私は「不争(ふそう)・争わず」いわゆる、競争しないという生き方です。人生は勝ち負けではないと考えられるようになったからです。争いは「勝つか負けるか」ですし、傷つけたり、つけられたりの人生は虚しさしが残るだけです?。すべてに劣っていた私は、ずっと、「何故人より優れていなければいけないのか?」「自分は自分だと考えて生きていけないのか?」と考えていました。そしてある時、私は「自分に負けたくない」という思いになった時「心学の書に出会った」のです。
人生は「人に負けるのではなく、自分に負けるのだ」とあるとき気づいたのです。自分に負けて途中で投げ出す。辛いこと、困難な事を避けてしまい、自分で選んだにもかかわらず、「自ら放棄してしまってはいけません。」
「自分を高めるのは自分」「できない、を口にしてはいけない」「人生は生涯チャレンジ」と気づいたのです。今夜は「にんげん学」一宮講座「新・論語を読む」です。
雍也(ようや)、第6、12条「冉求曰(ぜんきゅうい)わく、子(し)の道を説(よろこ)ばざるにあらず、力足(ちからた)らざるなりと。子曰わく、力足(ちからた)らざる者は中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す。今汝(いまなんじ)は画(かぎ)れり。」
意は「弟子の冉求が「先生の説く道は大好きなのですが、私には力が足りないのです」と言った。孔子は「力が足りないと言う者は、みな道半(みちなか)ばであきらめているんだ。今、おまえは自分で限界をもうけているんだ」と諭(さと)した。」
孔子は冉求に対して「今、おまえは、自分で自分の限界をあらかじめ設定して、やらない言い訳をしているのだ。」「おまえは倒れるほどやってはいないじゃないか。自分の事をおまえは今、限定してしまっている。」と叱咤しているのです。つまり、冉求の言葉は「自分のできる範囲はこれくらいだ」と謙遜しているようように聞こえますが、それは謙遜ではなく、自分を守りに入れ、誤った守り方です。徹底的に努力して、倒れるところまでやるという「勇気がないのです。」それを孔子は「今汝は画れり。」と言い切ったのです。
私はこの条を読んで、少し難しかったり、つまずいたりしたとき、冉求のように、言い訳をしていたのです。
これは人生は競争だ、知識が豊富でなければと誤った考えを持っている人に往々にして起こる「心の病」です。「できる、できない」「知っている、知らない」という二元的な見方をしている人が陥る「弱気」「消極的」な考えです。
人生は「自分の人生」です。自分が決めた事がやれるようになることほど楽しい人生はないのです。
私はこの教えを読んだとき、「そうか自分で限界を設定していたのだ」と気づいたのです。自分で「無理と決めつけてしまっているにもかかわらず、人を妬(ねた)んだり、うらやましがったり」していた愚か者の私でした。
それからは、「自分の実力ならこのあたりだろう、と思っているラインより、少し上を目指してやるようにしたのです。」実際にやってみますと、それほど大変ではなかったという事を覚ったのです。
私たちは本当に自分を守るのであれば、誤った守り方をしてはなりません。今夜は「にんげん学」一宮講座「新・論語を読む」、午後6時半受付です。会場でお会いしましょう。明日は中部地区・心に華を咲かそう会第15回「チャリティゴルフコンペ」です。沢山の皆様のご出席ご協力をお待ちしております。
昨日入山されました「ダイキン・コンシューマ・マーケティング株式会社リーダー研修」の皆様午後3時までしっかりとお取り組みください。今日は「自分で限界を作っていないか?をチェック」して下さい。素晴らしい一日を。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは熊本・大分地震の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。お気をつけてご支援ください。ありがとうございます。
NPOこころのはな」「子ども食堂」沢山のお子さんが来店下さいました、予定していた数では間に合わず、作り足す盛況でした。皆様のお陰です、子どもさんから来月のメニューのリクエストをいただき、小さい女の子が小さい声で「いただきます。ごちそうさまでした。」の声が天子のようでした。
来月も第1、2水曜日が開店日です。人数が増えるようでしたら毎週開店します。