順序を踏む

おはようございます。

10月最終週の始まり、じっくりとこれまで過ごした日々を噛みしめ味わい、明日へつなげる悔いの無い一週間としたいですね。
昨日まで心華寺で1泊2日で開校されていましたM&Uスクール受講生の皆さんお疲れ様でした。学びました一つを一ヶ月ご精進ください。的(まと)をつくる、的に向かうことでなければ、集中できません、修正もできません、ご精進ください。
今日24日は下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。毎日のお勤めにも言えることです護摩を修す、お勤めを修すとは、「順序を確かに行うこと」。ですから必ず「繁栄・安泰が成ります」。決して順序を飛ばさないからです。人生の高層ビルを建てるのに、一階から順序よく組み立てていかなければできないのが道理です。人生は「順序を踏むことが大事で焦っては成らないのが道理」。
順序よくやっていても、この世は一人で事を行っているのではなく。必ず仲間や、仕事相手があります。そして日々の会話、新たな気づき、改良点が出て来ます。だからといって、順序を踏まずに進めていいのかといいますと、「日々新たであるからこそ、順序を踏み、そこにプラスしなければならないのです」。基礎を確かにしてこそ「骨格を確かにできるのです」。
順序を踏まないことを「惑わされる」といいます。順序を踏んできたからこそ「問題点や改良点が出て来たのです」。それが「本物の進化です」。「突然に湧いて出るのはバブル」といいます。
ですから私は日々が楽しい。「法・道理を確かに踏めば繁栄、進化できることを知ったからです」。焦ることもしません、焦る必要もありません。確かに繁栄へと進むからです。それを「信力ともいいます」。順序を踏めば踏むほど、成果が出て、信が増し、どんどん「信力のパワーが増すのです」。
順序を踏まずに、結果だけを欲しがっている人が大勢います。それは欲に惑わされて順序を踏めず、あれやこれやと手を出し、信力とならないのです。信じるものがありませんから、順序も踏めず、惑わされる人生としかなり得ないのです。
祈りは「意乗(いの)り、意法(いのり)です」。自分の大切な意志、意(こころ)を「正しい道理、法に乗せて豊かに繁栄しながら目的地に到達させるために意(こころ)を法に乗せ歩むのです」。
昨日新幹線に乗り小倉に、小倉から乗り換え下関・愛宕寺に入ったように、繁栄という目的地に到達するために法という乗り物に私の意、心を乗せて日々順序正しく楽しく祈るのです。
楽しめず明るくない人には、人様も、幸福の女神も寄りつきません。それは「信じないからです」。教えを信じられない、夢の実現に誘う教えを信じず、道理を歩めないのは「自分の心、意を信じていないからです」。だから信力とできない。信は夢の実現前にこそ確かにしなければならないものです。でなければ「信とは言えない」のです。
確かに繁栄を求め、愛する家族を守りたいと願う方は午前10時おまいりください。お待ちしております。10月の最終週素晴らしい一週間でありますようお祈りいたします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。
日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
私たちは「熊本・大分地震」「鳥取地震」の復興支援を応援します。ボランティアの皆さんご苦労様です。気をつけて作業お手伝いしてください。感謝いたします。
☆昨日、下関駅で山陰線に「みすゞ潮騒号」が停車、改札口を出たら「ふくちょうちん」が出迎え、今日愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」におまいりなされると「ふく」が舞い込みます。午前10時お待ちしています。




玄関ではきれいな花がお迎えします。